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【映画評】 ホン・サンス監督作品…時間と距離の覚書(2)…『正しい日|間違えた日』『それから』

本稿はチャン・リュル監督『慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ』(2014)の時間の交錯からはじまり、ホン・サンス監督作品の時間の〝遠さ〟と距離の〝近さ〟について述べた
《ホン・サンス監督作品…時間と距離の覚書(1)…『次の朝は他人』『自由が丘で』》
の次稿として書かれています。
前稿も読んでいただければ嬉しく思います。

以下は本稿となります。

『正しい日|間違えた日』(2015年)

ホン・サンス『正しい日|間違えた日』作品webより
(写真=クレストインターナショナルより)

ホン・サンスはやはり面白い。再見したいほど面白い。物語は男女のたわいのない会話のもつれなのだが、エリック・ロメール作品を韓国に移植した半島的(政治的という意味ではなく地勢的、風土的)な面白さがある。それは半島の冬の寒さも大きく影響していて、男女の吐く白い息がいくつもの時間の層をなし、物語を思わぬ方向へと誘うのである。そして、うっかり1日早く到着してしまったという設定も大きく作用している。そのことで、物語は今日という時間を明日へと遅延させる。こんな遅延もあったのかと、映画を見ながら「そうなのか、そうなのか」と、遅延が引き起こす男女の会話に耳をそばだてほくそ笑んでしまうのだった。それにしても、ホン・サンスの作品では、男は恥じらいを捨て、幾度も嗚咽を繰り返すことか。


『それから』(2017年)

ホン・サンス『それから』作品webより
(写真=クレストインターナショナルより)

ホン・サンス監督『それから』も面白い。
ワンシーン・ワンカット。固定カメラは緩やかに左右へとパーン、そして通俗的なズーム。それは男と女の言葉の応答による感情の揺れや乱れを密やかに観察しているようであり、フレームの中心へと向かうことを拒む、いわば、ホン・サンスの巧妙な手捌きともいえる遅延のようなものを生みだそうとしている。そしてそれは、反復へとつながる。

「人はなぜ生きるのか」とボンワン(クオン・ヘヒョ)に問いかけるアルム(キム・ミニ)。
「理由なんてなく、生きているという実在があるだけだ」とボンワン。
「実在なんて虚構に過ぎず、生きるとは何かを信じることだ」とアルム。

アルムの発言にはなんだかフランスの哲学者ジル・ドゥルーズを思わせるものがある。ただ、ジル・ドゥルーズの「信」とは、「何か」という特定ではなく、「この世界」への信をということなのだが。「我々にはひとつのエチカ、ひとつの信が必要なのだ。そう聞いたら愚か者たちは笑うだろう。しかし、我々に必要なのは何か別のものを信じるのではなく、この世界を信じること、つまり、愚か者たちもその一部をなしているこの世界を信じることなのだ」(ジル・ドゥルーズ『シネマ2・時間イメージ』)。

本作と同じタイトルである夏目漱石の小説『それから』だったろうか、「なぜ生きているのか」と尋ねるシーンがあり、確か、「生命力があるから生きている」、との唯物的な答えだったように記憶している。実は本作のラストで、漱石の小説について言及されるのだが、本作のタイトル『それから』も、そのことによっている。

終盤、アルムがボンワンの事務所を訪れるが、ボンワンはアルムのことを忘れている。アルムが僅か一日ではあるが、事務所にいたという実在を忘れているボンワン。ボンワンは「実在」を確信していたはずなのに、アルムが述べたように、実在とは「虚構」にすぎないというボンワンの矛盾。

ホン・サンスが多用する反復。反復は、実在と虚構の狭間にあるフェーズなのだろうか。本作品を見て、漱石が、『それから』を含む三部作(『三四郎』『それから』『門』)で呈示したのは、このような、フェーズのような存在をめぐる考察に思えてきた。ホン・サンス作品と漱石との、不意の出合いを見る思いだ。

ラストで、ボンワンがアルムに漱石の新訳本を渡すのだが、これは、「私たちのことはみんなこの本に書かれているよ」と、ボンワンからアルムへのメッセージのように思えた。
本作品の映しだすソウルの冬の白い息は、漱石の小説のように研ぎ澄んでいて美しかった。

本稿の冒頭で、遅延のようなものを生み出そうとするカメラの動きについて触れたけれど、遅延はカメラという唯物的な操作でのみ起きるのではない。ボンワンの早朝からの出勤に対し、ボンワンの妻は浮気しているのではないかと質す。ボンワンは「早く目が覚めるから」とはぐらかすのだが、妻は納得せず幾度も同じ問いかけをする。そしてボンワンも「早く目が覚めるから」を繰り返す。妻による次への問いと糾弾を回避すべく、ボンワンは時間の遅延・停滞で難を逃れようとする。そしてボンワンの浮気相手であるチャンスク(キム・セビョク)との逢瀬で、ボンワンは「いつまでも君を愛している」といい、チャンスクも「わたしもいつまでも愛している」と反復する。

「いつまでも」という時間の停滞・遅延。そして、妻が事務所に押しかけて来た際にも、彼女は「外国に行ってソウルにはもういない」と、ここでもやはり、ボンワンは「不在」による時間の停滞・遅延でやり過ごそうとする。ホン・サンスの多用する反復は、このような停滞・遅延の要請による必然なのである。

(日曜映画批評:衣川正和🌱kinugawa)

《ホン・サンス監督作品』…時間と距離の覚書(3)…『夜の浜辺でひとり』『クレアのカメラ』》
へと続きます。

ホン・サンス『それから』トレーラー


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