ビニール傘
イイオンナはビニール傘を使わない。
寝るまでの消化試合に似た時間。
ネットの恋愛記事でそんな文言を見つけた。
いい女というのは、一日の始まりに天気予報を確認し、お気に入りの傘を持って出かけるのだという。
なるほど、たしかにそれっぽい。
急な雨に慌ててコンビニでいそいそと傘を調達する女よりも、予報通りね、と上質な生地の落ち着いた色をした傘をサッと開く女のほうが、ずっとスマートだ。
そうは納得しつつ、私はあの安っぽくて頼りない、どこにでもあるビニール傘とともに雨の日は出かけたい。
高校時代までは白地に赤と紺のストライプが入った傘を使っていた。
実家にいれば傘なんていくらでもあったし、少しの雨なら自転車で強行突破する日々だったので、傘を自分で買ったことすらなかった。
これは今もだが、手が荷物によって塞がれるのが嫌なのだ。
だから家を出る時点から雨が降っていれば、さっき巻いた前髪を守るために、しぶしぶその可もなく不可もなくなその傘をさして登校していた。
家の傘は、どれも色や柄が入ったものばかりだ。
このとき、ビニール傘は、案外私にとって馴染みのないものだった。
愛用していた傘は大学進学をきっかけに実家に置いてきてしまい、入学してしばらくは折りたたみ傘で雨をやり過ごすようになった。
もともと手に何かを持って行動することが苦手で、出かけるにしてもリュックが多い私である。
強風吹き荒れ天気もコロコロ変わる新潟の地においても、折りたたみ傘だけをリュックに忍ばせ、暮らしていた。
ところが半年以上経ったある日、図書館から帰ろうとしたら外は豪雨であった。
こういうときに限っていつもと違う鞄で出かけていたり、なぜか折りたたみ傘だけを前日にリュックから抜いてしまっていたりするもので、とにかく私の手元にこの激しい雨をしのげそうなものはなかった。
やむを得ず、図書館の隣あるコンビニにあわてて駆け込み、一番大きくて強風にも強いと謳われているものを選び、購入した。
11月頃のことだ。日はとっくに沈み、風も雨も冷たく、寒い夜だった。
早速傘を差してみる。
その細い骨組に合わせて、無色透明なビニールを張ることでできた即席の空間は私を冷たい雨から多少は守ってくれた。
風に煽られ、頼りないその持ち手にすがりつくようにして、一方でその細い骨を支えるようにして、家路を急いだ。
水たまりを踏んでしまわないよう、足元だけを見つめて歩いた。
風も最初よりは落ち着いて、家の手前の大きな下り坂まで来たところである。
黒い路面はオレンジ色の街灯を反射してきらきらと濡れていた。
顔を上げると、改めてビニール越しに周囲を見渡せることに新鮮な驚きを覚えた。
空間はそこで確かに隔てられているはずなのに、向こうが見えるふしぎ。
傘についた、いくつものまるい水滴もまた、オレンジ色に照らされてきらきらとしていた。
殺風景ないつもの道を、頼りない一本のビニール傘が特別に装飾してくれた。
私の口元は久々に綻んだ。
別の日。
あのときの傘はバイト先から帰ろうとすると傘立てから消えていた。
仕方なく、新しくコンビニから調達したものをそのときは使っていた。
季節は初夏に変わっていた。
優しく降り続けるその薄曇りの日。
私はまた図書館に向かっていた。
生きることに特に疲れていた時期でもある。
一念発起してなんとか外へ出かけられた。
傘についた水滴は相変わらずまんまるとしていて、きらきらとそこにあった。
上から下へ流れる水の跡も面白かった。
ぽつぽつぽつぽつと絶え間なくビニールを打つ音も小気味よく感じられた。
雨の日の午前中、人気はまばらだった。
車通りのない道はとても静かで、なんとなく時間の流れを忘れさせる感じがあった。
無色透明の膜を通して、向こうの景色はやっぱりちゃんと見えた。
それがまた不思議で、面白かった。
傘に隠れているつもりだけれど、こちらからはいつもどおり見えるふしぎ。
「自分まで透明になったみたいだ」
そう思った。
この突拍子のない発想は私の胸を躍らせた。静かな、穏やかな雨の日。
空は白く曇り、太陽の光は攻撃性が取り除かれたあとで通され、やさしく辺りへ届けられていた。
ひょっとして、今、私は透明になっているのではないだろうか。
もしかして、今、自分は周りからは見えていないのかもしれない。
そんな考えは、すれ違った人の些細な仕草によって妄想と判明してしまうのだが、以来私の頭はその発想にすっかり捉えられている。
ビニール傘をさすと、ふっと透明になって、輪郭がぼやけだし、そのまま景色に溶け込んでしまう。
ビニール傘をさしたら、今を離れてどこか遠くへ、空気に馴染むように、凹凸をならすように、そこにないものになることができる。
そうして、色も形もなくなった私は、気ままに分散し、霧散し、そのへんの木や、石や、花壇の土に染み込んでいく。
私は、そうであればどんなにいいか、と思う。
そうであれば、どうか、と願う。
どうか、このまま、どうか、と。
出かける前から雨が降っている日。
空が白く、光が柔らかい日。
私は一縷の望みを持って無色透明な傘をさす。
静かに、一枚の膜を通した景色を見つめて歩く。
その時はいつくるだろうか、と期待を抑えながら歩く。
人に傘がぶつからないように、道を譲り譲られながら歩く。
そうすることで、私はほんの少しずつ、健康を取り戻していくのである。
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