暑くなってきましたね

noteの毎日更新を始めてからもうそろそろ100日が経とうとしています。
日本は四季がある国なので、100日も更新していれば、季節の変わり目を執筆しながら過ごすことになります。

noteを始めた時期はまだ桜が咲き誇る前で、冬物の服が手放せない時期でした。
それから、これを書いている今日の最高気温は29℃。
もうすっかり夏です。

日々、noteを更新しながら思ったのですが、毎日、同じことを続けていると
、こんなことに気づきます。
それは…





「時節の移り変わりに敏感になる」

若い頃は、体力に満ちていたからかもしれません。
春夏秋冬、四季の流れに対してあまり関心がありませんでした。
冬でも半袖を着ていたとかそういうことではなく、「時間」に価値をあまり見出していなかったということですね。

気づいたらダウンジャケットを着ていて、気づいたらTシャツ一枚で行動。
そんな風に、夏が来てから「夏」と、冬が来てから「冬」と思っていた感じがします。

それが今は、一つの季節が次の季節に移る前から、その季節のことを気にしている自分がいます。
自ずと、四季の変わり目により敏感になった気がしますね。

これは、歳を重ねたからというのもあると思います。
ただ、それ以外にも、「何か形になる物事」を毎日続けているから季節の変わり目により気を取られるようになった、と感じています。

これは僕お得意の感覚的な話なので、何か発信活動を継続的にやられている方でないと、いまいち共感しづらいことかもしれません。

このnoteでも、SNSでも何でも、何か一つのアウトプットをし続けていると、毎日、「過去にどんな内容の発信をしたか」を意識することになります。

それは、例えば僕のようなnoterだったら、以前の投稿と比較をしてより良い記事を書くからだったり、閲覧数や「いいね!」の数をチェックするから。

発信者は毎日、過去のことを考えずにはいられないわけですね。
「今を生きる」とか「今だけを見る」のではなく、「過去を生きる」というパターンが、発信者にはある。

すると、折々でどうしてもその投稿をした当時の季節感を思い出すことになります。
これが、人を時節の移行に敏感にしてくれる。

これは、人生の終わりに一歩一歩向かっていっていることを否応なく認識させられる反面、落ち着いた気持ちにもなれて、個人的な良いことだと思っています。

小説家や詩人の方などがよく季節を題材にしているのも、きっと同じ発信活動を継続的にされているから、その移行に対する感度が高くなった結果なのかもしれません。

またまたすごく抽象的なお話になってしまいました。



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