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小説「ファミリイ」(♯37)
四月上旬の終わりのことだった。道端の桜が散り終えてあらかた新芽に変わり、地面に落ちていた花弁も風に舞って天へと昇って行ったある温かい正午、僕は仕事の一環で八幡山駅に降り立ち、赤堤通りを歩いていた。駅から歩いて十分ほど行ったところに雑誌の図書館があるので、リサーチャーを生業とする人間は、調べ物のためにその図書館を利用しているのだ。日本最大級の精神科があり、心に廃疾を抱えた人々が閉じ込められている病院が傍にあることは当時の僕は知りようもなく、その暗部に接しているとは露とも感じさせないほどの歩行者専用のゾーンまであるのどかな、新芽が芽吹く桜並木を図書館へと進んでいたとき、父からメールが届いた。
「会社の社会保険の関係で雇用証明書が必要になったので会社から請求してください」
と、そこには書かれていた。僕は、両親にはその年の前年の秋、放送作家事務所に採用された当時から会社員という契約ではないことをしっかりとメールで説明していた。にも関わらず、なぜこのようなメールを送ってきたのか? 穏やかさと爽やかさが丁度良い配分で混合された春の誘惑に酔っていた僕は、このメールを見た瞬間に誘惑から引き離された。途端に赤々とした憎しみが心の中に芽生えた桜の木々を燃やし、血液に混ざって僕の指先へと立ち上っていった。僕は、
「会社に入ってないって説明しただろ。そんなもの用意できるか」
と送った。すると父からは、
「じゃあ健康保険料を自分で払わなきゃいけなくなる」
と返ってきた。しかし当時、僕の月収は税込で十八万円。源泉が引かれ、そこからさらに月一万五千円を事務所使用料として事務所宛に納付しなければならなかった。国民年金や食費や携帯代は自活していたので、全てを支払うと手元に残る金は七万五千円程度。秋からは月二万円の奨学金の返済も始まるため、残るお金は五万円弱になる。僕は、早いところこの事務所での下積みを終えて収入を上げ、東京に居を構えたいと思っていたので、今から少しでも貯蓄に励もうと考えていた。僕に当時で月一万五千円はする国民健康保険料を支払う余裕はなかった。
「はあ? いろんな支払いもあるのに保険料を支払えるわけないだろ。会社に言ってなんとかしてもらえ」
「もう会社に就職したって言っちゃった」
「なんでそんなこと言うんだ!」
あるまじきメールが届いた。
「母さんに相談しなさい」
息子の事情をよく聞かず、会社に虚偽報告をしたのは父の方であり、そもそも本件は父の会社の事情であり、母が挟む余地はない。僕は、完全に自分に責のある斯様な状況ですら他人事とする父への憤怒が頂点に達した。
「なにが母さんに相談しなさい、だ! 自分が間違えたせいだろ! 保険料は払わない。会社に、息子が就職したと嘘ついていたと説明して自分でなんとかしなさい。保険料は払えない」
「もう会社に言っちゃったから取り消せない」
父の、自分が生み出した人間に対しても一切の責任を放棄するそのあるまじき姿勢。ものの数分の侃侃諤諤としたやりとりをきっかけに、最も気分のよかった春は、最も気分の優れない春へと変化した。日常との境界線上にある精神病院の冷たい鉄でてきた重い門扉が僕だけに開かれ、その先に並ぶ監獄から出てくる漆黒の瘴気が僕を取り巻き、僕を日常から逸脱させようとその足元に滞留し始める。それは父もまた同様で、母の存在がなければ父は奈落へと落ちていることを、その瘴気の存在をまだ知りもしない状態ながら僕は改めて認識する。この最も気分が落ちた春の麗かな昼、父への怒りの感情の噴出の後には、自分の経済力の無さと言うやるせない事情に対して、自分自身にどうしようもない腹が立った。
一番、瘴気に蝕まれていたのは……一緒に暮らしていた兄だ。兄は、数年前にせっかく新卒で入社した通信会社を一年で辞めてしまい、保険会社へと転職していた。そもそも兄に会社員、ましてや営業職なんてまともに務まるはずがない。僕と同じようにすらっとしていた兄は、過度な精神負担により最初の会社に勤めていた一年で激太りし、百七十センチ少々の身長ながら体重は八十キログラムを超えていった。兄の耗弱は如実に肉体に表れていたのだが、両親は彼に傷つけられるのを恐れて何も忠告しようとしなかった。保険会社に入社した兄だが、二年ほど勤めたのちに、大阪転勤を命じられた。
その転勤を命じられた夜、兄の部屋のある二階から、これまで聞いてきた中で一番の大きな、激しい物音がした。ガラスコップが廊下の床に投げ出され割れた、血液の滴りを連想させる痛々しい生音の次には、古びた木製廊下の床が抜けるのではないかと思えるほどの衝撃音が聞こえてきた。どうやらゴミ屋敷と化している部屋にあったガラクタを怒りに任せて投げつけたらしい。すでに寝室に入っていた両親は隕石が落ちたような衝撃音に目を覚まし、部屋から出てきて、驚いた。
両親が片付けを終えた後、狙い澄ましたように兄はまた部屋から出てきてガラクタを床に投げつける。兄は機嫌が悪くなると毎度のように床に物を投げるのだ。僕は恐ろしくて、一体彼が何を投げつけているのか確認しに行ったこともない。毎度のようにガラスの割れる音が森閑とした家屋の中に響きわたるだけだ。
兄は、大阪で働きたくなどなかったのだ。ずっとこの家にいたいと思っていたようだ。兄はこの夜、物を投げつけるだけには終わらず、両親の寝室を開けて、嗚咽しながら、
「会社辞めてきてやるからな!」
と叫んだ。どうすればよいかわからず、反論したら殴られると感じた両親は、この兄のどう考えても正常とは言えない判断に対して何も言い返すことはなかった。
この騒動が起きたのは三月。兄が転勤する一ヶ月前のことだ。そして兄は四月になっても家に残っていた。日本の企業では配置転換命令権は絶対的なもので、転勤を拒否するとその社員は懲戒解雇となる。
そのためほぼ全員が転勤を受け入れるのだが、兄は頑なに転勤を拒否し、本当に会社を解雇されてしまったようだ。僕は、いくら精神耗弱の進んだ兄とはいえ、まさか会社を辞めて経済的困窮を招くような真似はしないだろうと鷹を括っていた。もし大阪に移住してその地での自立した生活を築くことができれば、兄の精神は健常になるという期待すら抱いていた。しかし、兄の気狂いは僕の予想を遥かに超えていた。無職になった兄は、僕がちょうど放送作家見習いとして本格的に働きだしたその年、平日もずっと家にいるようになった。
その後、また何かしら職に就いたようだが、どんな仕事を始めたのかは、僕は勿論、両親も聞かずに今に至っている。平日、日がな家にいることも多いので、おそらく非正規雇用であろう。人と関わりを持たないで済む日雇いの派遣アルバイトをしているのではないだろうか。
人間の生は精神状態次第だ。ひとたび精神疾患を抱えると、どれだけ容姿や学歴に優れていても、高収入を得られていたとしても、人間は常道を外れ、叢の下に隠れている沼に嵌り堕ちていく。精神を健常に保つことこそが、何よりも人生を成功に導く秘訣だ。程度の差はあれど全員が精神疾患を抱えている機能不全家庭に生まれた僕は、特にこの兄によってこれまでの人生を長く苦しめられてきた。
「僕の人生はこの異常者の犠牲になっている」
そう認識したのが、この兄の退社騒動だった。僕は、この時期を境に、一刻も早く実家を出て東京で暮らそうと思い始めた。
18.現在(3)
十二月十五日の夜中、小腹が空いて焼きそばを炒めていたとき、ネパール人の恋人からLINEが届いた。
「Hi dear, 元気ですか?」
彼女はときどき、夜中に唐突に愛らしいメッセージを送ってくることがある。
「miss you」
彼女とは日本と英語を交えてメッセージの交換をしているが、英語力が高いわけではないので、定型句しか使えない。乏しい語彙力の中でも彼女の大好きな言葉がこの「miss you」だ。彼女なりの精一杯の愛情表現に、僕は年末の立て込んだ仕事による疲弊、苛立ちが一気に吹き飛んだ。
「I also miss you」
いつものように僕も定型句を送り返したら、虚をつくメッセージが返ってきた。
「3月に学校卒業して日本で就職したいですから会社紹介してください」
日本に住んで三年経っても文法は乱れたまま。だが、出会った当初はメッセージのやり取りすらままならなかったので、意図が伝わるだけでかなりの進歩だ。僕は聞いてみた。
「If you can’t find job in Japan, you have to back to Nepal?」
こう返ってきた。
「Yes dear, Yes i don't want to go to nepal」
やはりそうだ。彼女は学生ビザでの滞在期限が切れ、就労ビザが取れないと日本にはいられなくなってしまうのだ。返事に詰まってしまった僕に、彼女は立て続けに気持ちを吐露してくる。
「ネパールに帰りたくない」
もし彼女が本当にそう思っているのなら、僕が推薦できる手段は一つだけだ。
「One way, you may get married with Japanese man. You can stay as a wife」
僕はこのメッセージに二つの意味を込めていた。一つは、僕の妻になることへの推奨。もう一つは、純粋に僕ではなくても誰か日本人と結婚すること、だ。今の僕は両親とは自称絶縁した状況にあり、天涯孤独の身だ。妻帯者となり、ましてや子どもを育てるには、実家からの援助が得られないのでたとえ相手が日本人でも難しい。それが異国の人間が相手なら不利の度合いはより一段高い。ネパールは最貧国家の一つで戦前の日本のような暮らしがあり、ヒンドゥー教の関係からも家族の結びつきが強く、親戚縁者含めると二十人以上が一緒に暮らしている家庭もある。彼らには天涯孤独の境涯にある日本人など想像もつかないだろう。僕は、結婚相手として相応しくないのだ。僕と結婚したいと言って欲しい願い、言って欲しくない願いと双方が入り混じり、僕は所在を無くしかけた。
「I don't want to marry a Japanese」
彼女の返事に僕は深く安堵し、一方で彼女が僕をやはり生涯の相手としてはみていないことに対する悲しさも込み上げた。だが、この返事は真っ当なのだ。なぜならそもそも彼女にはネパールに夫がいるのだから。淑女は帰るべきところで待つ紳士の元に戻るべきである。彼女は日本でもネパール人と多くの時間を過ごしていて、日本人の日常とはかけ離れた生活をしている。もし彼女が就職先を見つけて日本に留まれたとして、もしくは日本人と結婚して永住権を取得できたとして、日本人と同化できない彼女は、何年も日本で生活していくうち、きっと根を上げてしまうだろう。そうなったら最後、彼女は好きだったはずのこの国で行き場を失い、十年前に僕が誘われかけた長閑な町の冷たい隔離病棟へと幽閉されることになるかもしれない。僕はそんな彼女の将来の姿を見たくはない。
「なんとかなるdear日本が好きですから日本に辞めてどこも行きたくないです。I want to meet you from the bottom of my heart」
「God bless you always dear love you forever」
彼女は僕にこう告げてきた。
「I hope you can find a job in Japan. You are my most important person」
僕はこう返したが、このメッセージを送ったときは、そのまま春に彼女が帰国することを願う気持ちの方が僕の中で強くなっていた。彼女のアルバイトと僕の仕事が落ち着いた年末に、知り合って以来初めて会う約束をしたが、この文章を書いている十二月三十日現在、彼女からの連絡はない。忘れているかもしれないし、僕からの連絡を待っているかもしれない。そう思い、ただ直接問いただすのは外国人で気分屋な彼女に重圧を与えてしまいかねないと思い、絵文字を送ってみた。しかし既読が付いただけで返信はない。
結局、この年末も会うことはないのだろう。それで良いのだ。下手に会ってしまえば僕に情が沸き、彼女の幸せとはなんであるか、僕と別れることという合理的な帰結を翻し、彼女を惑わせてしまうかもしれない。僕はこの年末年始も、例年の如く一人で過ごすことになりそうだ。ただ一点例年と違うのは、一人でいる場が「東京」というメガロポリスの中であることだ。
人生とは流水だ。当人が一切何もせずとも、周りを取り巻く物質も、人間関係も変わっていく。流れに逆らおうとしても無駄である。全ては不可抗力であり、卓抜とした技術の結晶も、そのままでずっと保つことはなく必ずいつかは壊れるように、誰かと出逢えば必ずその誰かとの別れが来る。永遠の結びつきなど存在しない。僕たちは絶えず移り変わっていく世界を構成する泡沫であり、何十億年と続いてきた地球に長くとも僅か百年程度しか居ない、すぐに弾けてしまう存在だ。しかもたったひとりで。生まれた瞬間から老いが始まり、誰かと出逢い、ひとりで逝ってしまう。全生命が等しくこの同じ運命を辿り、人間も例外ではないのだ。今年の最終夜を迎えた今日、僕は自分の〝ファミリイ〟を持つことが生涯無いであろうという未来を見通し、諦めの境地にありながら、同時にまだ〝ファミリイ〟の所有への希望を抱いていた二十代後半のころのことを思い出す。
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