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簡潔で、美しい文は「冒頭」がきめる
記事の「冒頭」には、いちだんと気をつかう。
もちろん、それ以降にも当然に時間をかけて書くようにはしているが、やはり「ひらいてすぐ目に入るところ」はそれなりに、いや、もっとも重要であると僕はかんがえている。noteを人にたとえると、サムネイル画像が「顔や第一印象」、タイトルが「評判」だとすると、冒頭文は、いわば「第一声」である。
人はまず、その相手の顔やイメージでなんとなくの評価をきめる。そのあとに、話したときの「声の印象」がもつ意味ははかりしれないものがある。
サムネイル画像やタイトルももちろん重要だが、僕のばあいは、サムネイル画像は下記アカウントから感覚で選びとっているだけだし(いつもお世話になってます)、タイトルはもはやセンスである。
どちらも「かんがえる」というより、「パッと気分できめる」というほうが正しいようにおもう。
僕はまだ、「冒頭文の書き方」について語れる力はないのだが。ひとりで黙々と、300日ほど書いてきた。そのなかで、「冒頭はかならず一文にして改行」を守ってきた。理由は、さいしょからごちゃごちゃと書いてあると、僕自身が読む気がうせるからだ。
エッセイにしろ、書評にしろ、ほかnoterさんの記事紹介にしろ、「冒頭は一文で簡潔にする」、これはこれからも僕のnote不文律でもあったりする。
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さて、である。
どうしてここまで記事の第一印象にこだわるのかというと、さいきんの僕のnote事情による。あまりこういうアピールをするのは好きじゃないのだが、さいきんは結構忙しい。noteを毎日書くのは前提として、図書館の仕事にくわえ、司書の勉強と月1度しかないテストがある。さらに恥ずかしい話、図書館は「派遣社員」という立場なので前職とくらべてもだいぶ給料はさがってしまった。やりたいしごとと引き換えに生活ランクをガクンと落とした、という感じである。
もはや生活が危ういというほどではないのだが、図書館からの単品収入ではやはり心許ない。だから、書きたいことを書けない、好きなジャンルの記事がない、というあまったれた理由で中断していたライターのクライアントワークを再開したというわけである。
おかげで、やっぱり忙しい。
いや、けっしてこの記事でぐちを言いたいわけではない。そんな暇があったら、「お金になる記事」を書きたい。
言いたいことは、以前まで毎日たのしみにしていた「他のnoterさんの記事をゆっくりと読む時間がないこと」である。
−−−
noteにはほかの媒体にはない、品というか、ゆったりとした雰囲気がある。それは僕たち「書く人」が、毎日ひとつずつ形づくっているからだとおもう。だから、これまでは、「他の方が書いた記事を読んでから」書きはじめることにしていた。リズムを借りるというか、ひとりよがりの文章を書かないためだ。
しかし、前述のとおり、あまり他の記事をゆっくりと読む時間がない。
そうなるとどうなるか。
冒頭の文章だけを読んで、そこから記事の内容を予想することが多くなった。だめな読者である。
でも、これを読んでくれているみなさまはどうだろうか。多かれ少なかれ、このような経験はあるのではないだろうか。どだい、気になる記事をすべて読むことは不可能なのだ。それは、部屋の本棚にいまにも崩れかかった積ん読をみればすぐにわかる。
今こうしているあいだにも、記事はうまれる。だから、もう僕にのこされた手段は、「冒頭を読んで離脱するかどうかをきめる」ことしかない。(一刻もはやく楽になりたい。たくさん読みたい)
ほうら、だから言ったのだ。
こういう僕みたいなやつがいるんだから、記事の冒頭は重要である、と。
そして、今日この記事を書いたことで、いっそう僕も身が引き締まるおもいがある。
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