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小室直樹氏による三島由紀夫評伝「三島由紀夫が復活する」

本(新版 三島由紀夫が復活する)(長文失礼します)(一部敬称略)

小室直樹氏による三島由紀夫の評伝です。帯に「三島文学の謎、「輪廻転生」に迫った野心作」と書いてあり、私も遺作「豊饒の海」の最終巻「天人五衰」の結末が、未だに謎なので買って読んでみました。 

実はこの本、5月に読み終えて一応感想文も書いたのですが、まだ資料不足ではと「英霊の聲」などを読みましたが、それでもまとめきれずに年末までになってしまいました。とにかく年末の区切りということで、咀嚼不足と思いながらもまとめてみました。

第一章は「三島由紀夫と二・二六事件」で、二・二六事件を題材とした「英霊の聲」を取り上げていますが、次の第二章「戦後天皇制に挑戦した三島由紀夫」の「天人五衰」での有名な結末の謎を、「英霊の聲」と同時に仏教哲学の唯識論から解明しようと試みています。

私も「豊饒の海」全4巻を読み終えて、第3巻「暁の寺」と第4巻「天人五衰」での対比、仏教哲学の唯識論と西洋哲学の認識論とを比較しながら理解しようと努めましたが、それでも最終的な結末の謎は残ったままでした。

今回も仏教哲学と西洋哲学、つまりインド哲学とギリシャ哲学者のそれぞれ2人の問答が紹介されていますが、論理性を優先する西洋哲学と、論理を超越する仏教哲学との歴然とした相違があり、三島文学を理解するには、この論理を超越した仏教哲学を理解する必要があると説いています。 

個人的な見解をいえば、1つの謎を解明する場合には、その謎を解きほぐす理論の組み立て、理詰めの論理性が必要となり、論理性の超越は全く別の次元での展開となり、「天人五衰」の結末は謎のままだと思ってしまいますが、仏教哲学的にいえばそれされも超越する概念なのでしょうか。  

本編の話に戻りますが、後半は三島自身の生涯についての評伝になります。東大を出て大蔵省に入省後、華々しく作家デビューした頃から、盾の会発足を経て自刀に至るまでの生涯が時系列的に紹介されています。

自衛隊に体験入隊して実際に隊員との会話を通じながら、自衛隊員への信頼と共感を得た三島でしたが、実態は国防の意義を感じて入隊する隊員はほぼ皆無であり、多くは生活のためなどでペーパー・ソルジャーと揶揄されていました。
若くから将来を嘱望されたエリート作家には、見い出すことができなかった現実社会の陰がそこにあったと筆者は記しています。

さらに盾の会を発足してから力説したのは武士道と軍国主義との違いでした。武士道は日本古来の精神であり、領土拡大を図る軍港主義とは明らかに一線を画すると述べています。世間からは混同されやすいこうした事項も、複雑に思想観や経済概念などが交錯した社会から、隔離した純粋な思想が導いたものだと思います。

天から才能を授けられた天才は、社会の泥水を被ることなく自己の人生を全うできます。逆に一般社会との乖離が天才を孤高にするのかもしれません。三島由紀夫は天皇制や武士道を通じて、一般社会との意思疎通を試みましたが、やはり天才ゆえの社会全体を俯瞰する理解能力が不足していたのかもしれません。

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