自分で自分の価値を上げる

入院中に書き溜めたブログを1つ投稿し終えた今は、仕事復帰初日の昼休み。退院が土曜日だったこともあって、成人の日を含む3連休も自由に過ごした。退院したその日から、私は、とにかく元気だった。傷の痛みはあるものの、日常生活を過ごす分には問題ない程に回復していた。

私は、入院中ずっと眼鏡(普段はハードコンタクト)で過ごしたことで、『やっぱり眼鏡を新しくしたい』と思ったことを旦那に告げた。以前からも気になってはいたものの、『眼鏡だって買えば安くない』し、『全く見えない訳じゃないからまだ使える!』みたいな気持ちが強かったんだよね。それに、今の眼鏡は、人生の中で(小学校低学年の頃から遡っても)【1番のお気に入り】と言っても過言では無いくらい【好きなフレーム】だった。なぜなら、初めて【値段を考えずに買ったこと】で、とても気に入ったフレームだったから。具体的な金額は覚えていないけれど、もちろん安い訳ではないはず。だから、その分『思い入れが強くある』のも自覚はある。

しかしながら実際のところ、『このまま使い続けることが難しい』という【現実】に、やっと『自ら目を向けるようになった』って話。そして、旦那に話をするや否や、「よし!買いに行くぞ!」って、旦那の方が半ば楽しみな軽快な反応だった。聞くと、「丁度、私の欲しがる物を何か買いたい気分だった」と言われた。なんだか、お小遣いを増やすことに成功したらしく、そもそもその気だったらしい(笑)

日曜日、2人で出かけて実際に気に入るメガネを探した。『どうせ買うなら、今回も気に入るフレームが欲しいかな』と思いつつも、かと言って『びっくりするような高い金額でなくてもいいよね』なんて気持ちもあって。お店の中を2人で見渡してみると、『これ!』ってなるフレームが2択になった。どちらも金額的には高くなるが、それでも構わず私は気に入るフレームに決めた。次に、レンズ合わせをした。結果、レンズの金額も高くなってしまったんだよね。なので、この時ばかりは流石に『やっぱり少しでも安くしたいかな』なんて気持ちになりかけた。
いくら【旦那のお小遣い=旦那の気持ち】とは言え、『申し訳ない』と思って気が引けた。それに『そんなに贅沢な眼鏡じゃなくて、【私には、もっと安い眼鏡で十分】いいよ』って思考。でも、この時に【初めて気づいたこと】があったんだよね。
これまでも似たような状況っていっぱいあったはずなんだけど。なのに、何故か今のタイミングで【自分で自分の価値を下げている感覚】になったんだよね。

というのも【自分で自分の価値を下げている感覚】について。今回は、【旦那の気持ち】があって、実際のところ【出せるお金】もあって。それなのに、【自分で自分を否定する】かのように、【今あるものから目を背ける自分】を自覚した。【旦那の気持ち】も【出せるお金】もある状況から、本人でもない【私】が『勝手に目を背けた』ってこと。正直、とっても『最悪な奴』って自分で思った。【気を遣う】とか【遠慮する】とかって、場合によっては、その【相手さえも否定する印象】になるのかも?って私は気づき、反省した。
また、その立場が仮に【自分】であったとしても、私は、きっと【同じこと】だと率直に思った。私自身に対する【自分の気持ち】と【自分のお金】があっても、『私にはもったいない』とか『私は、そんな贅沢するような人間じゃない』とか。何かしら、【謙遜】にも近いけれど【自己否定】とも取れる『理由を並べるだろう』と『容易に想像が出来た』からだ。

これまでの私はきっと、上記の様な思考と行動を『無意識に繰り返してきたんだろうな』と振り返った。【自分の価値】を、自分で【上げようとする努力する】どころか、【無意識の我慢と自己否定】で、『自分から下げる』ような選択。今回の私は、そんな【過去の自分】を自覚するきっかけとなった。

今回のように、【少しハードルを上げた出来事や選択】に遭遇した時。今後の私は、その【ハードルを越える人間】になりたい。【越える選択】をしてみよう。なんて、そんな『自分で在りたい』って初めて思った。
また、【自分で自分の価値を上げられない】とか【上げる努力もしない自分】を想像すると、急に【恐怖】を実感した。
【自分の希望のハードルが高い】なら、恐れて退避するのではなく、その【ハードルの高さに合った自分】になればいい。そんな【自分になる努力】をしたらいい。なんて、以前よりも【前向きな思考回路】に繋がった気がしている。
また、【自分で自分を高められない】ってことは、【自分以外の人間】に対しても、きっと『対応に困るんだろうな』って、今回改めて納得したんだよね。だって、だからこそ、『旦那からの気持ちから、無意識に背いてしまったんだよね』って話だから。

私は、そんな人間に対して、一体誰が【純粋な気持ち】で『手を差し伸べようと思うだろうか?』なんて疑問が生まれた。逆に、そんな【旦那の気持ちを受け入れること】【受け入れ続けること】で【初めて知る価値観】が『あること、実際あったこと』を痛感した。ってな訳で、下記に綴って発信したい。

①【少しくらい難しいこと】でも、【自分次第で出来ること】を『最大限叶えたい』気持ち。
②【多少の無理や困難】を厭わず、【自分や相手を大事に思う】気持ち。
③【やりたいけど出来ないんだよね】
④【気持ちはあるけど難しいのよ】なんて思考や発言。

私から見る旦那は、①②の印象が強く、③④の傾向はほとんどイメージが無い。基本的には、【やるか・やらないか】【やりたいか・やりたくないか】の様な感覚に見える。実際に【出来る・出来ない】ってのは二の次で、とにかく『自分がやる』って【決めたこと】に対して、【今の自分が出来る最大限の可能性】を求め続ける。その為の【手段】と【努力】を惜しまないで進み続けている。
また、【やる・やらない】も、【やりたい・やりたくない】も、そもそも、周りの人や環境を理由に考えない。【出来る・出来ない】の基準だって同じ。肝心なのは、その【理由の矛先】を【全部自分に向けて答えを出す】こと。仮に、相手に断られようとも、そもそも相手が求めてないようなことでも。場合に寄りけりだけど、そこに【自分の気持ちが、有るか無いか】で突き進む!みたいなタイプ。

私は、そんな旦那のことを、付き合い始めた時から変わらず、今でも心の底から尊敬する。どうしたら、そんな心の持ち主になれるのか。『私もなりたい』と思うからこそ、私はこれまでも【旦那の真似をしてきた】つもり。そして今後も【旦那の真似】をし続ける。旦那に断られようとも、旦那が別に求めていないようなことでも。これからは『私の意思1つでやってやろう!』なんて気持ちになった。

具体的には、やっぱり家事かなって思っている。どちらかと言えば【旦那が苦手なこと】を、【私が率先】してやりたい。料理に関して言えば、実際のところ心当たりがある。私自身、ご飯を作りたくないことは基本無い。けれど、主に休日は、買い物ついでに外食したり、テイクアウトしたり、お惣菜買ったり。私も別に、それらが嫌な訳じゃないけど、私が作りたいと思う時があるのも事実。でも私から言ったことないし、【旦那が言うことに合わせてしまう私】なんだよね。旦那も別に、私の作ったご飯が嫌な訳でも無いだろうし、むしろ『私に楽させてやろう』って【優しさ】なんだよね。だから私は、それを『受け入れてばかりなんだ』ってことも自覚はある。

そんな自分を振り返っていると、やっぱり本当に主体性が乏しい人間だと我ながら思う。でも、そうじゃなくて、そればっかりでもなくて。【旦那の優しさ】を分かった上で、【私】が『どうするのか』『どうしたいのか』って話。【私】が『すぐに出せる状態のご飯を準備していたら?』『今日は私が作るって主張をしたら?』ってこと。それはそれで『新しい展開が生まれるかもしれないよね?』と私は思う。要は、結局はいつも、【私】が『利便性や即時性には叶わない』と思っているんだよ。だから、『自分から言わない』で甘えているんだ。

あと、『なぜ【家事】なのか?』って言うと、私自身、【家事】に対してポジティブに思う気持ちが1つある。それは、旦那のご飯や身の回りの掃除・洗濯含めた【家事】は、言ってしまえば【嫁の特権】っていう認識がある。【私はあなたの嫁だから】って気持ち。だから、旦那への【愛情表現】として『1つの形みたい』な気持ち。なのに、その気持ちを行動として【表現不足】だと自覚しているから、旦那の気持ちに対しても遠慮してしまったんだろうなって納得する訳よ。

自由に生活している中にも、つい甘えてしまったり、楽な選択をしてみたり。それに満足した気分になっているのも事実なのよ。ただ、2個前の投稿にあったように【自分を満たすことへのバランス】について目を向けた時。今回の【出来事1つ】から、【解決に向けた方向性】が『新しく見えた感じ』がする。視点を1つ変えてみたなら、変えるきっかけに出会ったなら。私は、【自分で自分を高めたいと思える実態】に『気付くことが出来るのかもしれない』なんて思ったりする。

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