地獄❌改善❌今の幸せ?
つい1、2ヶ月前なら考えられなかったほど体調が改善している。
ここ一年ではおそらく相当良い。3月の再発前に近いが、おそらく病勢は去年の再発以来一番抑えられている。
逆に、一年以上もコントロールできないなんて、どんだけとも思ってしまう。
過去にここまでコントロールに苦戦したことがあっただろうか?
それも、過去の治療歴で何が効き、何が効かないかが結構出揃っている時に、ここまで空回ったのは初。
とはいえ、色々起きて、考え、今に至っている。
現在が危険な橋を渡りつつの順調な改善なのは分かっている。
それでも、改善は心から嬉しい。
改善自体がというのもだろうが、何よりもQOL(人生の質・生きる意義)が戻って来たのが嬉しい。
ただ体調不良に束縛されている間に時間だけが過ぎていくのは地獄のようだった。じゃぁ、生死を彷徨う方がマシかというと、なんだろう。そうじゃないけど……
そう。「けど」がキーワード。
まだマシだけど、同等なくらいキツイ面もある。
先日可逆的であろう、ある程度自業自得の事態で殴り込みがあった。(私ではない)
それを傍目に、何故自分は訴訟を起こしていないのか疑問に思った。
人生の時間は戻って来ない。
十分以上の苦痛では?
しかし、命を落とした場合とは異なり、これからも医療の恩恵を受けなければいけない立場で「医者を訴えた患者」になることの方が危険だろうと考えた。
他にも、訴訟は時間がかかるとか、ストレスが多くて心身に良くないだろうとか、まぁ色々な理由から訴訟するよりも泣き寝入りした方が人生はマシだろうと考えた。
けど、まぁ一年後の今も振り返ると憤りを覚える。
初手の甘さ……
時間稼ぎを優先する余裕がなく、システム上時間稼ぎで浪費した治療は短期間に繰り返せない。
ただ時間繋ぎに投薬し、薬剤を抜き取って棄てるつもりで投与するような安易に使うべき治療ではなかった。
そもそも、時間稼ぎで多少の改善が見込めた時に、根本的な対応になるかもしれない治療のために効果が多少なりとも出ている薬剤を抜き去ることの安全性など確立されていない。
時間稼ぎだけのためだとしたら、危険すぎる爆竹。
そんなことを言っても意味などない。
今は改善できているのだから、良いではないか!
そう思いたい。
でも、そう簡単に割り切れないからこの世には様々な雑念が生まれるのだろう。
それでも、今は効果がある治療に漕ぎつけられている。
日々が充実し始めていることにこの上ない喜びを感じるのも事実。
悔しいのも事実。
主治医団が憎い時もあれば、やむを得なかったと自分を説得しようとするのも事実。
そして、去年の春から今年の初夏までの時間が二度と戻って来ることが無いのも事実。
そして、今の治療が安全ではないのも事実。
その上で、それでも尚、たとえ危険スレスレのラインでかろうじてバランスをとりながら、合併症を…… 今この瞬間は大きな合併症を起こさず切り抜けられていても……
ギリギリの安全性であっても、改善を優先しないことになど耐えられないのも事実。
逆に、地獄を見たからこそ、今の治療に感謝できるのかもしれない……
たかが、速やかに治療が開始出来なかっただけで、おそらく将来さらに大きなどん底が待ち構えているのだろう。
しかし、それが人生なのかもしれない。
誰しもがいつか死ぬ。
酷い闘病の末に訪れる死なのか、もう少しはマシな闘病の末なのか、あるいは事故や老衰なのか、その違いはあれど、死は万人に訪れる。
それを救いと感じる道のりなのか、
残念に感じる道のりなのか、
あるいは満足しきって受け入れたものなのか、
どのような死を迎えるのかは人それぞれ。
結局大切なのは、「今幸せ」と感じられるか否か、それだけなようにも感じる。
そういう意味では、現在の治療に感謝でき、改善に喜び、取り返せている人らしさを満喫することこそが最大限に有意義なのかもしれない。
今を大切に生きよう!