【小説・4話】🧚‍♂️シュレディンガー家の奇喜劇👺波乱万丈な家族愛ミステリー

バーベキューの後も優愛は早めに就寝して、翌日の皆んなとの海水浴に備えた。

普段は、よく冗談を飛ばしながら、人一倍よく笑う優愛だが、この日の朝食では明らかに静かだ。

真宙は優愛に「体調大丈夫?」と尋ねる。

優愛は「う~ん。ちょっと疲れてるだけだと思う。」と曖昧な返事をするものの、笑顔だし、特に辛い症状があるようには見えない。

真宙は引っかかる。「体調で普段と違うことがあったら、ちゃんと言うのよ。」と少し念押しする。

優愛は「うん。分かってる。疲れてるだけだと思う。」と返答する。

皆が我先にと好きな食べ物を平らげておかわりする中、優愛も少なめながら完食する。そして、真宙の車に皆でビニールボートやビーチパラソル等を皆で積み込んだ後、子供達6人は8人乗りのゾスピンテの大きなワゴン車に乗り込んだ。ゾスピンテの夫デービッド(デーブ)が運転し、ゾスピンテは助手席に乗った。

ティムの別荘から海までは車で15分くらいと、とても近い。それでも、全員がシートベルトを締め、各々の席であまり動かない。体は動かさずとも、ワイワイとトークは大盛りあがり。あくびをしながら目を閉じて頬杖する優愛をよそに、皆が大声で何度も爆笑している。有輝は、時々優愛の様子をみながら、気にしつつも、長旅と連日の大盛りあがりの影響だろうと自分自身に言い聞かせる。15分が一瞬に思えるほど、皆で楽しく笑っているうちに、デーブの運転する子供達を乗せた車は、ひと足早くビーチに到着した。皆で更衣室で水着に着替えた後、再び集合した。背中は手が届きづらいので、優愛は有輝の、有輝は優愛の背中に日焼け止めを入念に塗ったくる。以前、かなり入念に日焼け止めを塗っていても、水ぶくれができるほど肩や鼻のてっぺん等が日焼けして以来、二人とも率先して日焼け止めを塗るようになっていた。(以前有輝が小学生くらいまでは、真宙やピーターが追いかけ回して、日焼け止めを塗らなければならないほどの日焼け止め嫌い。日焼けが酷い時には、真宙がアロエの木を購入しにそこら中を駆けずり回ったこともある。アロエの木が手に入らない時には、アロエジェルのアルコールが激しく滲みるため、ピーターが様々な薬局でアルコールフリーのアロエジェルを購入したこともある。日焼けは予防が大切!一に予防、二に予防!しかし、それでも足りない時には、アロエは効果てきめんだし、何よりも気持ちが良い。親の愛情を一身に受けて、アロエを切って貼り付けたり、何度も何度も自分では手が届かないところにまで治療を施してくれるありがたみもまた、治癒の促進や成長への大きな架け橋になってくれているのだろう。そして、少し痛い思いをした方が、予防意識も向上する。)遊んでいる途中でも、率先して日焼け止めの追加塗りをするようになったのは、結構激しく日焼けをして以来のこと。適度な放任や経験も大切よね。そして、優愛はTP53遺伝子変異があるため、皮膚がんリスクが高い。バッチリ紫外線対策をして、十分に子供らしく遊びつつも、予防は入念である必要がある。ハッチャケたお年頃だけれども

メーガンもまた、入念に日焼け止めを塗り、長袖長ズボンに大きな麦わら帽子のようなツバの広い帽子を深々と被って、サングラスをしてティムの車に乗り込んだ。移植後の免疫抑制剤の影響により、メーガンは皮膚がんになりやすい。そのため、紫外線対策を万全にしている。

ピーターはというと、事故直後はPTSDで車に乗れなかった。車に近づけても、車のドアを開けると、事故当時の身体的苦痛も恐怖も、命がけの窮地にいる感覚も現在進行系の事象としてまさにその場で事故の瞬間を丸ごと経験するフラッシュバックに襲われた。しかし、その後徐々に治療して車に乗れるようになっていった。荷物が乗っている車に乗車するのも治療でゆっくり、一歩ずつ可能になっていった。助手席には今でも乗れないが、後部座席には問題なく乗れるまでになっていた。

さらに、ピーターは高次脳機能障害のため、目の前の物が一部だけ認識できない部分空間無視という症状がある。脳の天辺の頭頂葉という部分が障害されてしまうと、本人はお皿の全てを食べたように見えていても、半側空間無視があると、キレイにお皿の半分が認識されずに食べ残されてしまう。そしてでは本人の脳は見えない(認識できない)ので、見えていないことにも気がつけない。すると、リハビリで見えないという事実を知って、工夫して日常生活への影響を減らしていく。ピーターは幸いにも、半側空間無視よりも認識できない部分が小さい。しかし、車のように命にかかわる精密機械で、視野が重大な役割を果たすものは、安全のために扱えない。こういう事情で、ピーターは事故を起こす危険があるために運転できない。元々、真宙は無事故で運転好きなので、この住み分けは随分とスムーズに行っている。キャサリンは真宙の隣の助手席に乗り、和気あいあいと談笑しながらビーチに向かう。

こうして、3台の車に分かれて、4世帯がビーチに繰り出した。この日も、皆でビーチを楽しんだ後、同じビーチのバーベキュー施設で、皆でバーベキューをして、そのままキャンプをする予定。翌日も海で泳いで、キャンプをしたら、一旦別荘で支度を整えて、海とは反対側に車で20分程度の登山が盛んな緑豊かでせせらぎがキレイな山に登る予定だ。

海中鬼ごっこは、いつもジョーダンと優愛とトップ争いだが、今日はジョーダンの一人勝ち。優愛はちょっと息が上がりやすいだけで、特に他には大丈夫と、珍しく浮き輪やボートでよく遊ぶ。とはいえ、特に痣が目立つわけでもなく、体重減少が見るからに顕著ということもない。「ちょっと疲れた」や「少し休むね」は多めだが、本人は大丈夫と言っているし、外観で異常が明らかにあるわけでもない。

真宙も有輝も「疲れてるんなら、少し休んだ方が良いよ」と有輝が優愛を少し水から出るように促し、真宙が優愛の肩にタオルをかけて、パラソルの下でカクテル風に盛り付けたジュースをキャサリンやゾスピンテ、真宙達と笑顔で啜る。

皆んなと遊ぶのもとっても楽しいけれども、たまにはこういうまったりした大人のクルーズっぽい嗜みも心地よい気分転換だ。少し先に大人の仲間入りした気分に優愛は若干の誇りを感じつつ、穏やかなビーチサイドの平和でゆったりした温かい時間に身を任せてウトウトする。

和気あいあいとした雰囲気の中、マーガレットだけは、時たま優愛の様子を見て、一瞬眉間に皺を寄せたような不安そうな表情を浮かべた。しかし、バカンス中だし、普段と違うイベント盛り沢山の毎日だ。マーガレットも、一瞬の不安を拭い去り、直ぐに皆と一緒にカクテル風ジュースを飲みながらの談笑を楽しみ続ける。

日焼け止めの効果があっても、子供達は各々ピンクやちょっと茶色の健康そうな色調に日焼けして、1日海の中でのどんちゃん騒ぎを満喫して戻って来た。

一旦、パラソルに皆で集まり、女性陣がタオルや飲料、スナック類を片付ける中、筋肉質の男性陣が椅子やパラソルをテキパキと片付けていった。ピーターはいつも通り、この日も海岸からテトラポッドまで何度か往復し、テトラポッドの上や周囲で日差しや水を満喫していた。片付けも終盤に差し掛かる頃、複雑骨折の後遺症で軽くだけ引きずる脚で、パラソルに急いで駆け寄って、できる手伝いをしようとする。

テキパキと動く大人陣の中で、少し周囲とぶつかったり、多少ぎこちなくも片付けを手伝おうとする意思は滲み出ている。

男性陣も日頃鍛えられたのチームワークによってか、適宜お互いに声をかけながら、素早くオーケストラのように連携する。ピーターの障碍にも皆が順応し、何を任せるかや、何をフォローするか、時にはピーターが手をつけた作業をさりげなく請け負う。

こうして、ビーチサイドから撤収したクルーは、バーベキューへと繰り出していった。

なんといっても、主役は豪快に焼き上げた肉の数々と、その日釣れた魚だ。しかし、野菜もたっぷり用意されており、食前のサラダは少量の新鮮野菜にとどめ、他はグリルした数々の軽く塩を振って、野菜の旨味を閉じ込めたグリル野菜だ。グリルトマトの甘さを際立たせる酸味も、グリルオニオンのこんがりした表面の旨味も、食欲をより一層掻き立てる。オクラやコーン、キノコもバーベキューでは、キッチンでは出せない香ばしさや濃縮された旨味が増す。シンプルに焼いただけの野菜達も、一気にオードブルからメインディッシュへと早変わり。

真宙が「まだ肉も魚もあるんだからね~」と声をかけないと、成長期真っ盛りでたっぷり運動して、空腹の極地にある子供達は競い合うようにグリル野菜に齧り付くスピードを落とさない。まるで、一週絶食してきた野生動物のように目をギラギラ輝かせて、口いっぱいに野菜を頬張る。噛むのが早いか、呑み込むのが早いか。今大食い大会に出場したら、皆上位に食い込みそうな食べっぷりだ。

真宙やキャサリン、ゾスピンテ母親集団は、口では注意しながらも、どことなく喜びと誇りが滲み出ている表情を浮かべながら、時々お互いに無言の目線で気持ちを分かち合う。

それを尻目に、野菜のグリルは女性陣に任せ、男性陣も上品に盛り付けして、軽くオリーブオイルをかけた前菜のような野菜も男性陣がテーブルの真ん中に置く。

マヨネーズやソフトチーズのような乳製品等は、食中毒が危ない時期の日の後半に行われるバーベキューでは、あらかじめ排除して準備をしていた。、代わりに、オリーブやピックルスの日持ちする前菜が巧みに織り交ぜられる。

皆が我先にと食べながらも、ワイワイと会話に花を咲かせる。いつも皆んなから大好評で直ぐに無くなるコーンをまだ食べていない優愛に、ブライアンがコーンを渡す。

優愛が「後で欲しかったら取るから良いよ」と返すと、ブライアンは「まだまだだなぁ。人気が高いものは、先に取って食べちゃわないとして後で欲しくなった時には、もうなくなっちゃってるよ。いらなければ、俺がもらってやるからさ。自分の皿の上も、誰の手が伸びてくるか分からないから、気をつけろよ。貴重なコーンの恩は忘れるな。今日のは特に美味いから。」ウィンクをしながら微笑み、ブライアンも再び自分の食料調達と食事に猛注し始めた。

大所帯並の大きな集まり、特に食欲大生な育ち盛りが多い食卓では、食事は戦争半分、団欒半分だ。あんまり、礼儀正しくしていると、競争率の高い美味しい食べ物にありつけずに、悔しい思いをすることになる。

最後に、焚き火を囲んで枝先にマシュマロを刺して、マシュマロを焼いて、思い思いの飲料を飲んだ。ジンジャエールは王道の人気を誇り、ルートビアやレモンソーダ、オレンジソーダも肩を並べた。

楽しい1日こそ、食事も満足に目一杯好きなものにありつきたい。こうして、満足と達成感に満たされた、充実感溢れる夜にしたい。

真っ暗な夜空には、無数の星々が散りばめられており、映画のワンシーンのような美しき光景で皆を歓迎するかのようだった。

こうして、誰もが十分美味しい食事を満喫して、各々のテントの寝袋に潜った。最初こそ会話や口頭ゲームを楽しんで盛り上がっていた一同だが、昼間の遊び疲れと翌日の登山に備えるため、夜更しすることなく皆が穏やかな眠りに落ちた。

翌朝、キャンプ場で食事を済ませた一同は、海から山に向かう途中で、ティムとマーガレットの別荘に立ち寄り、準備を万端に整えた。

早朝早くから、山を登り始め、ゆったり道中を楽しみながら、湧き水に耳を傾け、木漏れ日を浴び、落ち葉や木の根が敷き詰められた土道を踏みしめる。

山といえど、険しい道はほどんどなく、登山初心者向きの山。

皆でゆっくり楽しく会話しながら足を進めていたが、優愛は登山中に咳が出始めたと思ったら、呼吸困難を起こし、その場で痙攣発作で倒れてしまった。

真宙が駆け寄り、優愛に声をかけながら、意識レベルをアセスメントする。腕も脚もグーっと伸ばし、その直後優愛の体はガクガクと震えるようにsiezureを起こす。ピーターとデーブ(デービッド)が即座に優愛の体を横にした。優愛の口元は青ざめ、明らかに呼吸をしていない。口からは吐物が溢れるが、横にした体位のおかげで、窒息せずに地べたに吐瀉される。

幸い、携帯の電波が届いたため、急いで救急車を要請し、ヘリコプターで優愛は緊急搬送された。ヘリコプターの中で人工呼吸器を装着し、ジアゼパム(抗てんかん薬)が投薬された。

病院に到着するやいなや、様々な検査が行われる。

検査待ちの際、不整脈で心肺蘇生術が開始された。心臓マッサージ中のベテランの救急医が、看護師に血液検査の予備のスピッツ(試験管)を目元まで持って来て見せるように指示を出す。そこには、上半分が真っ白に濁った、血液らしからぬ液体とも半固形液にも見えるものがある。

検査室のデータを見ずしても、経験豊富な救急医には、それが白血病の血液であることが一目瞭然だった。

優愛は定期検査も受けていた。自覚症状も疲労くらい。海水浴で十分な水分補給を心がけていても、潜在的脱水があった可能性は否定できない。翌日の登山時、健康体では出ないような潜在的高山病も重なったのかもしれない。全ては憶測に過ぎない。

医師は、真宙の目を見て「分かる術はなかった。あなたは全て最善の行動を取った。できる最善のことは全てやった。あなたに非はない。」何度も何度も、救急医は真宙とピーターに、誰もが予期できない状況での急変であり、両親は最善を尽くしたと伝え続けた。

優愛はその場では心拍が再開したが、自発呼吸は戻らなかった。それでも、治療しながら数年間生き続けた。時々、周囲の状況が分かるように見えることもあったが、脳波に大きな変化は見られなかった。脳死の基準は満たさずとも、機械が延命に必須だ。

そんな中、両親は代わる代わる優愛の部屋に泊まって看病を続けた。有輝もブライアンもマックスも、いつも集まるのは優愛の部屋だった。いつもと変わらず、優愛も会話に参加しているかのように、皆で談笑したり、音楽を歌って演奏した。

毎日変わらず、笑顔で眠り続けた優愛だったが、有輝達の高校卒業の翌日、なんの前触れもなく、再び急変した。そっと穏やかに心拍が低下する中、ゆっくりと心停止へと移行した。

何年も頑張り続けた優愛を目の前に、家族も親しい友人達も、優愛を引き止めたいとは思いながらも、「苦痛なき世界」を本人が望むならばと、心臓マッサージ等の侵襲が高くて大きな改善が見込めない処置は望まなかった。

皆の門出を送り出すまで、ずっと傍で和やかに皆を励まし続け、安心して各々の道へと送り出したのかもしれない。

こうして、優愛は亡くなってしまった。

シュレディンガー家のピーターは大いに荒れた。

そして、何かに取り憑かれたかのように、優愛の手術日に夫が重症熱傷(火傷)でICU治療を受けた際に待合室で知り合ったレベッカと一晩を共に過ごした。

その直後にピーター失踪した。

エリザベス・有輝(ベス)は癌を治せる医者になると心に誓い、遠く離れたアメリカの医学部に進学した。ブライアンは医学部も法学部も受かった。将来ベスの力に為りたいとして有輝と同じ医学部に進学。マックスは、二人のサポートを担う意図もあり、法学部に進み、医療系に強い弁護士を志した。

いつしか歳月が過ぎ、医者になった有輝の元に、ピーターから10年ぶりにメールが届いた。

「がんになった。俺を赦すなら、今のうちだぞ」というピーターのなんとも傲慢ながらも、記憶が欠如しているなりの謝罪のようなメールが届いた。

意味不明だ。

ただ、有輝も有輝で、父親との10年ぶりの再会。複雑な心境だ。

結局、世界中を放浪したピーターは、真宙の元に戻ってきた。

「愛してる。ずっと愛してた。やり直そう!」そう、涙ながらに訴えるピーターを目の前に、真宙は困惑の表情を浮かべる。

真宙「壊れてないわよ。あなたが失踪した後も、私達は一度も壊れていないわ。やり直す必要なんてないわよ。これからは皆んな一緒に同じ道を進みましょう。」

熊のように大柄だったピーターは、昔ベジタリアンだった頃の痩せた体型で真宙に抱きつき、公の面前で大きく、長く、そして10年分の時間を凝縮する熱意でキスをした。二人は、ずっと抱き合ったまま、その場に溶けいるかのように長く、けれども自然でそれが天命として、その場に彫刻化して刻まれるくらいに穏やかかつ目には見えないパッションが溢れるように、その場で一つとなった。

真宙は実家をリフォームして、ピーターの在宅医療を整えた。

こうして、何度も何度も手術をして、膵臓もセチジョしてインスリン分泌ができない体になったピーター。真宙も痛みに毎日唸るピーターを介抱した。

糖分を細胞内に取り込むために必要なインスリンが全く出ないピーターは、食べられない時でも、インスリンを投薬する必要がある。すると、十分栄養が摂取や吸収できないピーターの体は、命にかかわる低血糖を起こしやすい。これを防ぎながら、時には治療しながら、赤ちゃん用の粉ミルクを舐めて凌ぐ日々もある。

真宙はピーターの背中をスポンジで丁寧に、撫でるように温かい視線と手つきで洗う。腹部には、何度も回復した手術痕が大きく、深く、そして複数個刻まれ、増え続けるピーター。

有輝も、ちょうど夏休みが取れたため、アメリカの勤務先の病院からオーストラリアの故郷に一時帰宅して、ピーターと真宙の3人で密な時間を過ごした。

ピーターの事故後、優愛まで突然亡くなってしまった影響で、有輝は長らくキリスト教を否定する立場を取っていた。しかし、病院で働く中で、いつしか神様は信じるようになっていった。そして、真宙にも聖書アプリを勧め、一所にチョビチョビと聖書に触れていった。

最初こそ、「神様は信じるけれども、宗教はよく分からない。分からないから、もう少し知ってから、自分自身の信仰の道筋を決めたい」と思っていた。聖書も、神のお言葉というよりは、「最古で世界最大のベストセラーだから、何かためになることが書かれているに違いない」と触れる機会を設けていた。

ピーターと時間を過ごす中で、有輝はピーターに音楽を歌った。しかし、歌詞を知っている曲が少なかった。なので、アメージング・グレイスといった、キリスト教の穏やかな音楽を歌って聴かせたることが多かった。

真宙と有輝がピーターのベッドを囲んだある日、自然と有輝の口から「赦すよ。全て赦す。私もお母さんもキリスト教になったんだよ」と、不思議と言葉が流れ出た。

ピーターは涙を流し、何度も何度も「ありがとう」と2人に告げた。

ピーターは痛みに1日中唸り続けながらも、救命・延命措置は拒否して、自宅で過ごす道を選択した。

「優愛は強いなぁ。ずっと、どうやって何年もこれを乗り越えてきたのだろう? 僕に無理だ。凄いなぁ。」

ピーターと交わした言葉は、これが最後になった。

痛みで唸りながらも、時々会話のように音を立てた。何か言いたそう。けれども、そのうめき声や閉じた瞼で抑揚をつけて発した声が言葉として意味を持つことはなかった。

有輝は、可能な限りピーターの傍から離れなかった。真宙も同じように、ベッドサイドでピーターに寄り添った。

美しい自然な時間が流れていった。ピーターの兄弟姉妹もみまいに訪れた。コロナ規制であえない者は、ビデオ電話(Zoom)でグループチャットでピーターを面会した。

24時間、画面越しでもリアル社会でも、ピーターは多くの者たちに囲まれていた。

ある日の昼食直後、有輝は一瞬ピーターの元を離れてトイレに行った。その瞬間、真宙のピーターを呼ぶ声がした。真宙は有輝も呼んだ。

有輝が駆けつけた瞬間、真宙に抱かれたピーターは、最期の呼気を放ち、その瞬間に魂が体を去ったと誰もが分かった。

在宅診療のかかりつけ医に電話をして、死亡診断が下った。

長くも短い最期はなんとも温かく、家族4人が不思議な形で揃っていた。

素敵で穏やかなな、皆の胸に一生刻まれた時間。

滞在中オーストラリア大使館から、ピーターの訃報のメールが有輝の元に届いたのは、ちょうど葬儀を終えて、ピーターの遺骨を儀式的に海に流してまもなくだった。

ピーターの入院中、ロッカーにしまっていたパスポートが、実は盗まれて、こっそり売り飛ばされていたのだ。

真宙の元に届いたメールは、時期が時期だけに開かれずじまいになっていた。そこで、大使館は有輝にもピーター訃報のメールを出した。

この時の混乱は凄かった。当然、詐欺だと思い、無視しようと考えたが、メール差出人情報は確かにオーストラリア大使のものに間違いない。なので、大使館に連絡をして、状況を伝えた。

結果、パスポートの窃盗からの偽造により、第三者がタイでピーターとして生活していたことが発覚したのだ。

この件は、政府が介入し、シュレディンガー家は無罪の被害者と判明した。

タイミングがタイミングだっただけに、誰しもが驚き、困惑した。

後日、ふと真宙が「ピーターぽいわねぇ。死してなお、家族の元に戻ってきたかったのよね。そして、自己主張が激しいその突拍子もない方法まで、ピーターっぽいわ。誰も、忘れないわよ。全くもう。」

疲労困憊の真宙は微笑みながら、ピーターと一緒に、そして我が子達と過ごした日々を懐かしくも温かく、穏やかに回想しているかのように見えた。

これは、波乱万丈で独創的な家族の奇劇でもあると同時に、愛と喜びにも満ちた喜劇でもある。

今を大切に生きよう!


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KG
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