命❎政治❎日本団結
現在、地域や病名によって、同じ疾患や病状でも受けられる治療が違い、その結果予後も違うのが日本です。
もちろん、その原因は少子化と政策です。
地域により財政が違えば、地域の保険団体が病院に治療することで出る一過性の赤字を補填できるか、できないかにもよります。
こんな中、速やかに必要な治療ができさえすれば快復する場合や入院中でも治療を継続できれば防げる合併症で命を落としてしまったり、後遺症が残ってしまう場合もあります。
しかし、だからといって他者の命の価値を推し量るのは絶対にあってはならないことです。
そうは言っても、100%社会復帰不可能で、今後財政面では貢献できる可能性がない状態...... そんなものは存在しない。
だって、周囲の人々と関わり、笑顔や元気を与え、この児童にしかない人生を通して、関わる多くの人々に沢山のプラスの影響を与えながら生活していくことでしょう。
この児童の命はプライスレスであり、そもそもその命や人生の付加価値など議論の対象として不適切である。
少しでも、ここでかかった値段によって......、などという考えが浮かんでしまうこと自体があってはならないこと。
けど、やっぱり、この一年で自分の治療が脅かされ、その結果命が脅かされてしまった原因が政策や地方の財政である以上、やはり頭をよぎる発想になってしまう。
医療費の分配で、治療を望まない90歳以上の患者の心臓にカテーテルで人工弁を入れることで、失われる将来の若者の命......
老人ホームで自分も分からず、糞便を壁に塗ったくる老人の介護費用によって削られる若者の治療費......
命はプライスレスであり、優劣などつけることはできない。
本人は治療を望んでいなくとも、家族がその老人が回復することで多くの経験をし、孫やひ孫が多大な素晴らしい影響を受けるかもしれない。それは、いつしか循環し、日本に大きな貢献をするかもしれない。
全ての人は社会貢献している。
だって、介護職を増やせば、若者の職場が増え、賃金が増え、経済が回せる。
テレビからは距離を置いておるけれども、どうしても入ってくる医療費についての様々な表現。
医療は全ての人間にとって、必ずいずれ必要になる必須の出費である。
対して、汚職や癒着、来年も同じ予算を貰うためだけに棄てるように使われる予算...... 血税だろ??
このような無駄を優先して、命や人生に直結する予算を真っ先に削るなんて、非人道的だろう⁉️
でも、現実は理想? いや、常識や人道に沿った成り立ちではない。だからこそ、皆が投票し、積極的に政治について話し合うことに意義があるのだろう。
そもそも、患者同士が手を組んで一緒に団結してより良い社会を作る努力をするべきだろう?
もっと言えば、国民同士が一致団結して日本国民の生活や保障を守り、改善していくべきではないだろうか?
自分の命を脅かされた時に、どうぞと命を差し出すのは、フィクションと自分より大切な誰かを助けるためだけだ。
もちろん、もう目一杯生きて、完全燃焼した場合にも、もしかしたら死を快く受け入れるのかもしれない。
命や人生に優劣をつけるなど、禁忌中の禁忌、頭を過ぎることすら許されない。
でも、つい、ふとした瞬間に「他者の治療によって自分の命が縮むかもしれない」という恐怖と怒りが湧くことがあるのは否定できない。
もちろん、今後そうならないために、着々と準備を整えて安全な何処かに行くのがベスト...なのかもしれない。でも、どこの国も同じだろう。一長一短あり、パーフェクトなオアシスは存在しない。
そういう意味では、自分が人生で前進するために政治と少し距離を置くのも悪くないかもしれない。
それでも、投票は必須。投票は国民としての義務だろう。しかし、それ以外のところでは、あんまり接触しない方が精神衛生上良い??
しかし、政治は土足で我々の人生に踏み込んでくる。
日本経済も時給(給料)も、食費や自給率、飲食物の安全性から教育費まで、交通費や治安だって、何から何までが政治によって影響を受ける。
快適な生活と安全な日々を信じて疑わずに穏やかな気持ちで過ごせるように、すべきことはなんだろう?
少なくとも、日本人同士で協力してお互いを助け合うのは重要だろう。