主治医が「ハズレ」くじ、幸せの選択戦法
入院中は苦労する。
彼の判断で、やるもやらないも決まってしまう。
分からないが、分からないことがある(多い)ことを理解しており、周りにやらせる人はまだいい。
自分の力量が足りないことに気づかないのか、プライドが高すぎてそれを認められないのか...あるいは他に原因があって、治療が滞る時は大変。
入院中は、どうにか必要なことを誰かにやってもらわなければいけないために必死になる。
しかし、退院してもう一生彼と関わりを持たなくて良くなったら、記憶から消していい。
どっかのお祭りやスーパーのくじ引きで、「ハズレくじ」の詳細を覚えている人などいまい。
そう。残念だった。
幸い、彼の力量不足で生命までは落とさなかった。Life goes on. 人生は続いていく。
たかがハズレくじなんかのことを記憶に留めておき、脳のキャパを使うのなどもったいない。
別にその彼に別段強い想いがあるわけでもない。
強い想いは、「治したい」とか、「この対応が必要!」とか、「どうやって、誰に対応して貰えばいいんだろう」とかなのだ。
フォーカスは、自分にとって必要で大切なこと。
ハズレくじはそれを阻むのだから、入院中に必要な手段に辿り着くプランを考える上で、バイパスできない存在。
しかし、そんなハズレくじのことを、人生前に進むのに、考える必要はない。覚えている必要すらない。
時たま思い出してしまうのは、しょうがない。
でも、今まで通りすがりのくじ引きで引いた「ハズレくじ」の詳細をどれも覚えている人ってどれくらいいますか?
病院でも「ハズレくじ」はいる。それが過去の異物になってくれた時、もう思い出すエネルギーすら勿体ない。
これは、多分会社の誰かでも、学校の誰かでも同じこと。
その「ハズレくじ」と極力関わらなくて良くなったら、マイナスだったことを考えるエネルギーを、プラスのことや未来の為に使いたい。
人生が全て順風満帆で何一つ良くないことが起きない人はいない。
その中でも、順風満帆に感じるか、不幸のどん底に感じるかは、ある程度ある私達自身の気持ちと記憶の選択権の行使の仕方...が関わるのかもしれない。
せっかく生まれてきたのだから、「幸せ」や「奇跡」を見て、感じることを選択したい。
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