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心に生まれてしまった「どうせ無理」に抗う

「もし、時間も自由に使えるとして、無条件に100万円が手に入ったらどうする?」

はるばる鹿児島から北海道へ足を運んでくれた友だちとはしご酒を楽しんでいるとき、もしも話は突然始まった。

幼い頃からある定番のもしも話。
「もし、100万円が手に入ったら?」
昔なら、貯金をするとか、世界旅行に使うとか、マイホームを建てるとか自由に妄想を膨らませていた。
妄想に胸を躍らせて、右上に目をやり、口元は緩ませながら夢を語っていた。

あの頃は。

数年前までは、同じような顔で語っていたはずなのに、それを訊かれたときの私は眉間に皺を寄せていた。
額に手を当て「えぇ……待ってよ……なんだろう……」と何度も漏らした。それでも、何も浮かばなかった。貯金しとくという言葉さえ出てこなかった。
何も浮かばないことが、悲しかった。

きっと今の生活に満足していて幸せだから、お金もいらないと思ったんだ。今で十分だから、欲がないんだ。
悲しさを押し込めしようと、自分に言い聞かせた。

嘘。
夢を持つ感覚を忘れかけていたからだ。

地元で暮らしていたときは、自分専用の車もあったし、一緒に楽しいことを企んでくれる仲間も近くにいた。自分が行動すると決めればある程度のことはすぐに叶えられた。
ありがたいことに、たくさんの成功体験をさせてもらって、「少しは手放しなさい」と言われるほど、小さな夢で頭はいっぱいだった。
次はこの夢を叶えるために何をしようかと考えるその環境が当たり前だった。

けれど、地元を離れ、鹿児島から北海道に移り住んだとき、その当たり前は崩れ去った。
車を手放し、行動に制限が生まれた。共に企みあった仲間たちとは気軽には会えない距離になってしまった。一人暮らしから二人暮らしになり、自分に使える時間も減った。
北海道での人脈はゼロベース。必死に動いてやっと仲間を見つけられたと思ったら、道内転勤でその人たちとも気軽に会えなくなる。
収入も不安定で「このやりたいことは実になるか?」とコスパばかりの判断が増えていく。
外のコミュニティでも活動したい私と家の中でできる活動をしてほしいパートナーとの価値観のすれ違いには終わりが見えない。
これまでのやり方では通用しないことばかりだった。
割れたガラスに触れたような激しい心の痛みに、受け入れられるまで涙が止まらなかった。
けれど、「それは自分が決めたことなんだから」と周りにも言われたし、自分でもその言葉を言い聞かせた。

できないことは当たり前。それを選んだのは私。やりたくてもできなくて当たり前。やりたいことに使えるお金も時間もないのだから。
「やりたいけど無理だよ」
「やりたいのはいいけど、お金はどうなるの」
「やりたいことばかりじゃ生きていけないよ」
そんな言葉を突きつけられて、そんな言葉を自分自身に向けて、溢れるほどの夢を一つ、また一つと諦めた。「いつか」という言葉と共に引き出せるか分からない心の奥底にしまい込んだ。
それが現実だと物分かりのいいフリをした。
いつしか、やりたいことさえも浮かばなくなっていた。ただ目標もなくお金を稼がなくてはという終わりの見えない焦りに身を削られていた。

不意に、小さな夢がちらりと顔を覗かせても「今の私じゃ、どうせ無理」と払い除けた。
繰り返し刷り込まれた無力感に夢を持てなくなってしまったのだ。
今の自分は、鍵のない鳥籠にいるよう。
いつでも籠から飛び立てたはずなのに、気づけばここからは出られないとうずくまっている。

夢に心躍る自分が好きだった。叶えようと動く自分が好きだった。
だから、好きだった自分に戻りたかった。

自分の真ん中を生きる人の背中を押すyourflagというサービスを見つけて、縋るように受け始めたのは必然的偶然だったのかもしれない。
自分の真ん中を生きる術を知りたかった。

yourflagのたまさんは「この先の未来で何を叶えたい?」と問いかけながら、瞬間接着剤並に貼り付けてしまった夢への無力感をぺりぺりと優しく剥がしてくれた。
そこから、本当はやりたかったことが久しぶりにちゃんと顔を出し始めた。

そうそう、これがやりたかったんだよね。……でも、私にできるんだろうか。

そんな不安も束の間、たまさんは、叶えるためのスケジュールと行動を、道に迷わないようにパン屑を落とすヘンゼルのように並べていく。それからヘンゼルたまさんはパン屑をついばもうとする森の鳥も追い払ってくれた。
パン屑を一欠片ずつ追うたびに、夢に近づけている心地を久しぶりに感じられた。

夢に向かって動く毎日が再び繰り返されると、次第に無力感は薄れていった。気づいたら「あれもしたいこれもしたい」と頭の中は夢でパンクしそうになっていた。

自分へ突きつけてしまった「無理」は追い払える。一度染み込んでしまった無力感からも脱げ出せる。
夢を閉ざしたのは、繰り返される失敗体験ではなく、成功に向かって動けない自分を認めたくない拒否反応だった。

何もできないと思ってしまう世界でも「やりたいこと」と素直に向き合う一歩。立ち塞がる壁を認識する一歩。乗り越える方法を探したり、時には誰かに頼ったりして、落ち着いて登っていく一歩。
その小さな一歩が、否定した自分を変えてくれる。
登る最中は、高さに足がすくむこともあるけれど、そのすくむほどの高さは着実に夢に手を伸ばせている証拠。
自分に動ける力があることに気づけたのだから、あとは進むのみだ。
好きだった自分に戻れ始めている今、あのとき崩れてしまった当たり前に手を合わせ、光ある新しい当たり前を構築していっている。

あのとき答えられなかった「もしも100万円が手に入ったら?」に、今では顔をニヤつかせながら答えられる。

自分の立ち上げたサービスを生業にしたい。
たくさん物語を書いて、たくさん本にして人に届けたい。
昔、お金を理由に叶えられなかった小説を全国流通させたい。
会いたい人たちに会いにいきたい。
エトセトラ、エトセトラ……。

そんな一つひとつの夢を前よりも実現できる可能性を感じながら。

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屈橋毬花 | 【紙に月】
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります。 ……いや、サポートとってもうれしいです!!!!