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三人の名宰相 〜戦後の日本をつくった総理大臣〜

九條です。

昨夜は、年末に録画しておいたNHKの『映像の世紀 バタフライエフェクト』「戦後日本の設計者 3人の宰相」(2024年12月30日放送/73分拡大版)を観ていました。

ここで語られている3人の宰相とは、戦後の日本の方向性を決定づけた、吉田茂・岸信介・田中角栄の3人の内閣総理大臣です。

以下にこの3人の簡単な略歴を記しておきます。

【吉田茂】
1878〜1967年(明治11年〜昭和42年)
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業

おもな職歴(年代順):
◎中華民国(現・中華人民共和国)領事
◎中華民国(現・中華人民共和国)総領事
◎イタリア大使
◎イギリス大使
◎外務次官
◎外務大臣
◎特命大使
◎内閣総理大臣(第45、48、49、50、51代/1946〜1954年)
◎皇学館大学総長
◎二松學舍大学舎長

内閣総理大臣在任期間:
◎第1次 吉田茂内閣(1946〜47年)
◎第2次 吉田茂内閣(1948〜49年)
◎第3次 吉田茂内閣(1949〜50年)
◎第3次 吉田茂内閣(1次改造1950〜51年)
◎第3次 吉田茂内閣(2次改造1951年)
◎第3次 吉田茂内閣(3次改造1951〜52年)
◎第4次 吉田茂内閣(1952〜53年)
◎第5次 吉田茂内閣(1953〜54年)

(首相官邸サイト・『日本史辞典』等をもとに作成)

【岸信介】
1896〜1987年(明治29年〜昭和62年)
学歴:東京帝国大学(現・東京大学)卒業

おもな職歴(年代順):
◎農商務省官僚
◎商工省官僚
◎満州国国務院官僚
◎商工次官
◎商工大臣
◎民間企業役員
◎自由民主党幹事長
◎外務大臣
◎内閣総理大臣臨時代理(石橋湛山首相の代理)
◎内閣総理大臣(第56、57代/1957〜58年)

内閣総理大臣在任期間:
1957〜58年

(首相官邸サイト・『日本史辞典』等をもとに作成)

【田中角栄】
1918〜1993年(大正7年〜平成5年)
学歴:二田尋常高等小学校(現在の柏崎市立二田小学校)卒業

おもな職歴(年代順):
◎土木工事作業員
◎新潟県土木派遣所
◎土木会社社長
◎郵政大臣
◎大蔵大臣
◎自由民主党幹事長
◎通商産業大臣
◎内閣総理大臣(第64、65代/1972〜74年)

内閣総理大臣在任期間:
◎第1次田中角栄内閣(1972年)
◎第2次田中角栄内閣(1972〜73年)
◎第2次田中角栄内閣(1次改造1973〜74年)
◎第2次田中角栄内閣(2次改造1974年)

(首相官邸サイト・『日本史辞典』等をもとに作成)


吉田茂さんも岸信介さんも田中角栄さんも、それぞれに違ったタイプの政治家です。しかし3人ともに戦後の我が国の方向性を決定づけた、たいへん優れた器の大きな(真の意味での「大物」の)政治家だったと思います。

田中角栄さんの首相時代は、私はまだ小さかったですがリアルタイムで経験をしています。彼は「コンピュータ付き(人間)ブルドーザー」と言われました。その時代は高度経済成長期でもあり、とてもパワフルな時代でした。

しかし、いまの私の個人的な好みを申せば、岸信介さんや田中角栄さんの「やり方」は、あまり好きではありません。

吉田茂さんは、学歴も職歴もピカイチ。頭が良くて経験豊富。高潔で頑固者。老練の士。決断力・実行力ともに抜群。

彼は「ワンマン宰相」(愛犬家だったので「ワンワン宰相」とも)と言われましたが、戦後の混乱期において食べるものが無く、飢えと貧困にあえぐ国民を食べさせ、その命を繋ぐためには「ワンマン」も致し方ない部分があったかと思います。

ですから私は、吉田茂さんについては歴史的にもう少し高い評価があっても良いのではないかと思う今日このごろです。^_^


【参考資料】
◎京大日本史辞典編纂会 編『日本史辞典』東京創元社 1990年
◎筒井清忠 編『昭和史講義』筑摩書房 2015年
◎日本国内閣総理大臣官邸(首相官邸)オフィシャルサイト 2025年版

©2025 九條正博(Masahiro Kujoh)
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