ちょうどよく生きたい!完璧主義/白黒思考 に悩み続けた私の対処法
「完璧主義」「白黒思考」に悩まされている人、多いのではないでしょうか。完璧主義思考を持っている人の場合、許容範囲と言える60%〜80% すなわちグレーゾーンと呼ばれることが許せないことがあります。向上心がある、と言えばポジティブな捉え方ですが、完璧主義とはいわゆる全力疾走の状態。ずっと走り続けるのはしんどいし、自分自身を追い込み過ぎてしまう。けれど、どうやってやめればいいのかわからない。かく言う私も この「完璧主義思考」に悩まされてきました。今回は、私の実体験を振り返りながら、このような思考が引き起こす弊害と、対処・向き合い方をお伝えしたいと思います。このnoteをのぞいてくれた人に届くメッセージがあれば嬉しいです。
完璧主義とは
勉強でも仕事でも、いい加減なことや曖昧なことは許せない。認められない。完璧にできないなら、やらない方がマシであるという考えです。考え方が極端なので、他人から見るとなんてことないことでも、当の本人が少しでも失敗したと思うと「人生終わり」なんて考えを持ってしまう。
このような「考え方の癖」が引き起こすメンタルの不調として、「うつ病」や「不安障害」「摂食障害」などが挙げられます。
完璧主義をやめるにはどうすれば良いのか、記事などを見ると、妥協するだとか、グレーゾーンを探すとか、立ち止まって考えるだとか書かれていることが多いです。私も、親や病院からは「手を抜いてもいいんだよ」と何度も言われました。でも、「どうやって」手を抜けばいいのかわからなかったのです。完璧にやり遂げることでしか自分を評価できないので、中途半端な自分を許すことができず、何事にも気を張る状態が続いていました。
私は「摂食障害」「適応障害」「うつ病」の診断を受けた経験があり、すべての症状の要因には完璧主義思考が関係していると感じます。摂食障害の完治が難しいのと同様に、完璧主義の考え方が全く消えてなくなった、なんてことはないと思います。しかし、このような自分の性質・癖とうまく付き合っていくことで、「ちょうどよく」生きていくことはできると思います。
人間関係の悩み
好きか嫌いか、良い人か悪い人かだけで分ける傾向があります。一度嫌いと思った相手のことをなかなか好きになれません。親しくなる前に壁を作ってしまったり、相手に少しでも(自分にとって)悪い所があると一気に評価が下がったりします。優しい人だと思っていたけど実は頭が悪かった、とか。これは相手にも完璧主義を投影させてしまうことで起きます。
"自分も相手も人間です。完璧じゃなくて当たり前。相手のいい面と悪い面の両方を見ることができれば人間関係でのストレスも抱えにくくなる!!"
……わかってはいるんですよね(笑) でも、完璧主義の人って自分の失敗や評価に対する感覚の鋭さが鋭敏なので、相手の悪い面に対しても敏感に反応してしまいます。相手を認めるには自分を認める必要があると感じます。「私も失敗することあるな、失礼な態度とってるかもな」と自分が完璧でないことを受け入れることで、相手にも寛容になれるものではないでしょうか。
また、人に任せるより自分がやった方が良いと考えて人に頼ることが苦手であったり、自分の弱みを見せることを過剰に恐れる傾向があります。このようなことは人間関係が希薄になる原因です。できないことを口に出して伝えてみると、案外周囲の人が自分のできないことに対して何にも思っていないことがわかったりします。一人で抱え込むのではなく周りとのつながりを作ってみることで、思っているよりも気持ちの負荷が減ることもあります。
好きなことへの影響
努力の方向性を見失い、成果を評価されること自体が目的になっている場合もあります。ただただ好きなことに夢中になっていたはずが、納得できる結果でないと やっている意義を見失ってしまい、成果が出ないと意味がないのではないかと考えてしまうことも。私は美大に通って絵画制作を行なっていますが、評価されることばかりを意識して「好きなこと」を見失ってしまいそうになることがありました。
自分を認めてあげられる方法を見つめ直し、好きなこと・息抜きできる居場所を大切にしていくことが必要ですね。
まとめ
完璧主義の人は 真面目で頑張り屋さん、能力が高い人と評価されることが多いです。そんな自分にプライドを持っているので、妥協することをマイナスだと捉えてしまいます。100点を目指すことは悪いことではないと思います。しかし、60点でもいいし、80点だっていいんです。60点の自分を肯定できることが大切なのです。100点でないことを責めたり、100点に満足できないことが苦しくなる原因ですよね。
また、私が特に伝えたい教訓は、自己の肯定を他者に求めないことが大切だと言うことです。承認欲求の満たし方も同様に、「無条件に」自分で自分を認められることが必要です。周囲がどれだけ「完璧でなくても良い」と伝えても、本人に響いていなかったらダメですし、他者の言葉で満たされるのは一瞬だと思います。
妥協するとは?
今まで嫌いだった「妥協する」と言う言葉、これは何かを「諦める」ようなネガティブなことではないのだと気づいたのは最近の話でした。完璧でなくても私は私、いいところも悪いところも兼ね備えた人間です。何事もうまくやっていかなければいけない!みたいな、ある種の強迫観念から脱するための言葉であり、気を張っている自分とそうでない自分との折り合いをつける意味であると考えます。
頑張り過ぎてしまう皆さん、私と一緒に、ありのままの自分を好きになる訓練をしながら、「ちょうどいい」生き方を模索していきましょう!