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離れるべき人に対する気持ちの持ち方

人生の節目節目でつながる人がいれば、離れていく人がいる。
私ももう30後半になり、60歳で寿命の世界から見れば後半戦になってきて、
つながる人も離れる人もたくさん見てきた。

その中に、最初は良い関係だったのに途中から全然合わなくなったり、何ならこっちからみると裏切られたなあ・・と思う人もいたり。
そういう関係もあれば、学校のそこそこ仲の良い同級生のように、パッと消えてまたパッとつながる関係性もあったり。

私の中で一番厄介だったのが、最後の方でお互いに(多分相手も同じこと思ってるんだと思う)嫌だな〜と思ってるけど、前良い関係だっただけになかなか切れない、みたいなもの。
人ってゆっくりとした変化はなかなか気づきにくいから、昔は好きだったけど今はもう変わったんやで。みたいなもの。

私は最近までこのパターンに苦心をしてた。

私は別に喧嘩別れをしたいわけではなくて、ただお互いの心地よい距離が離れた方がいいってことを、どうお互いが認知して納得すればいいのかがわからなかった。

そして無理に近い距離で過ごした結果、自分が傷ついてしまって、でもそれは自分で無理をした自業自得だから相手にぐちぐち言うのは違うなと思ってずーっと押し殺して。

そしてあるタイミングで我慢できなくなって、そこまで少しづつ、いつ消えてもいいように画策しながらピークに来た時に自分がいきなり消える(離れていく)、ことを無意識にやってた。

そしてそのまま違う世界の中で生きていって、まるで生まれ変わったように生きていたなあ〜と思うことが増えた。

悪くなった、あるいは悪くなっていく関係の人と、面と向かって自分を曝けて向き合った結果、お互い納得して離れるなんてできないなと思っていたから。

正直人生後半に差し掛かったタイミングの今でも、同じパターンが出てきたら、そうやって逃げてしまいそうになると思う。

でも、今週末ふと内省をしていて、私はその人たちに事実として傷つけられた。相手が恣意的なのかはわからないが、私からすれば傷ついた。この事実は変わらないし、そのことが痛かったことは自分で認めてもいいんじゃないか。だから、その人たちに対して、もう一緒にいることはできないし、信用もできないけど、その人たちが違う世界でその人たちなりの満足感だったり幸せを感じることは祈ってもいいんじゃないか。

そしてそのことが、今自分の中にしっくりきている。

自分も相手も傷ついて、離れていくけど、そのまま放置じゃなくて、
お互いもっと人生を納得して、それぞれの役割を果たすために違う場所に行ったのであって、お互いもっと良くなっていいし、お互い幸せになればいいんだろうなと。

だから私は、離れて行った人みんながそれぞれの人の中で納得いく人生を送り、幸せだと感じる瞬間が増えることを願ってもいいなと。

そしてその人たちの中に、過去傷ついた自分もいていいんだと。そう感じることができるようになりました。

自然やエネルギーが五行の考え方でお互いに補完したり、相克したりするように人にもいろんな場所でいろんな役割があるから、それぞれの役割で力を発揮して、世界の循環が綺麗に回るようにいればいいのかもな。

そう思うと、「自分」を知るだったり、「自分の役割」を知るってすごい大事だなと思ったし、もっと自分を知って、どう循環をしていけばいいのか考える方向が自然なのかも。

離れていった人とのそれまでの時間に感謝しつつ、
その人たちの役割が見つかり、充実した人生が送れますように。

よし、今日も頑張るぞ✈️







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