【解説】実話を基にした映画『シカゴ7裁判』で知る、「権力の暴走」と、それに正面から立ち向かう爽快さ
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「正義のためのデモ」が司法で争われた実話を基にした映画『シカゴ7裁判』はメチャクチャ面白かった
被告人ではなく、主席検事に同情を禁じえなかった
映画でメインとして描かれるのは、ベトナム戦争への反対意思を示すためにデモ行為を行う若者たちの姿だ。映画全体としてはもちろん、彼らがどのように奮闘したのかという話に焦点が当てられるし、物語としても非常に面白い部分である。
しかし、映画を観て何よりも強く感じさせられたのは、主席検事のシュルツの大変さだ。この映画で描かれるような裁判で被告人になるのも嫌だが、それ以上に主席検事に対して同情してしまった。
映画の冒頭、かなり早い段階でシュルツは、「共謀罪での立件には無理がある」と司法長官に告げている。そもそもこの案件、司法省は一度「起訴しない」という結論に達していた。しかし、司法長官が変わったことで方針が一転。デモの首謀者たちを無理くり起訴することになったというわけだ。そんな状況で主席検事に指名されたのがシュルツであり、彼にはやはりどう考えても「共謀罪での立件」は無理筋としか思えなかった。
しかしシュルツには「No」と返事が出来る状況にはない。なにせ、司法長官からの直々の指名である。しかも担当するのは、単なる裁判ではない。「ベトナム戦争への反対」という国家色の強い争いであり、裁判という土俵上だけで話が済むような性質のものではないのだ。
そんなとんでもない状況に放り込まれてしまったシュルツには、同情しかなかった。
私とて、「検察は正義を担う機関である」などと無邪気に信じているわけではない。しかし、検察官を目指し、厳しい競争を勝ち抜いて検察の門をくぐり抜けた者たちはやはり、「自身の手で正義を実現したい」みたいな理想を抱えているのではないかと思う。もちろん、基本的には大体の裁判において「正義が実現された」と考えてもいいはずだ。しかし、すべてではない。様々な力学が働くせいで、正義は歪められてしまうことになる。
「歪められた側」も不幸ではあるが、「歪める側」もまた不幸なのだと思っている。少なくともシュルツは、デモ首謀者たちを立件したくはなかった。起訴することが、法に照らして「正義」であるとは思えなかったからだ。それでも、そういう状況に立たざるを得なくなってしまったのである。
またもちろん、次のような問いを突きつけることも可能だ。「シカゴに集まってデモを起こした者たちは、本当に『正義』を実現出来たのか」と。「法で裁くことが難しい」からと言って、それがそのまま「正義であること」には繋がらない。「法」とは別軸で、彼らの「正義」についても検証すべきだろう。私自身は、「大義だと信じるもののために法を犯すこと」が許容される状況もあっていいのではないかと思っている。つまり、「『どんな行動を取ったか』だけで是非を判断するのは正しくない」と考えているというわけだ。
しかしいずれにせよ、「正義」の多くは歴史の審判を待たねばならないだろう。後から承認されるような形で、「あれは『正義』だった」という風に考えるしかないと思う。それ故、歴史の審判を待つ間は、既存の「法」によって判断されなければならないだろう。その覚悟を持つ者だけが行動すべきだと思う。
こう考えると、シュルツが直面した困難さがより際立つだろう。何故なら彼は、本来であれば歴史の審判を待たなければならない事柄について、「あなた方が間違っている」と断言しなければならない立場にいたのだから。
こんな風に、決してメインとは言えないシュルツのことも気になってしまった。
映画の内容紹介
舞台となるのは、民主党大会が間近に開かれる予定の1968年5月。時はベトナム戦争真っ只中。アメリカの若者たちが次々と戦場に送られていた。ベトナム戦争に反対する若者たちは、目前に迫った民主党大会の会場でデモを行おうと計画する。
そこには様々な集団が入り乱れていた。民主社会学生同盟と青年国際党のメンバーはシカゴへと大挙する。また、ベトナム戦争終結運動のリーダーとブラックパンサー党のトップは共に、単独でシカゴへへと乗り込んだ。いずれも共通していたのは、「民主的にデモを行うべき」というスタンスだったこと。暴力的に対峙しても意味がない。
そして月日は流れる。
民主党大会から5ヶ月が経ったある日、シュルツは司法長官に呼び出された。デモ首謀者たちの裁判での主席検事に任命するためだ。司法省は民主党大会におけるデモ隊の行為を精査し、一度は不起訴の結論を出した。しかし司法長官が交代したことで方針が変わる。司法長官は、過去一度も判例が存在しない「ラップ・ブラウン法」を使い、彼らを「共謀罪」で起訴するように命じたのだ。シュルツは、明らかに無理筋だと感じたのだが、既にレールは引かれてしまった。やるしかない。
そして1969年9月26日、世界中が注目する裁判が始まった……。
映画の感想
デモの状況や登場人物たちの関係がなかなか複雑に絡み合っており、正直、全体像を正しく捉えるのが難しい映画だと言えるかもしれない。ただ、とにかく面白かった。映画は、裁判シーンの合間に、民主党大会前日からの若者たちの動きが挟み込まれる構成になっている。つまり、物語の中心にあるのが裁判であり、そしてその裁判が実に面白い。アメリカの裁判の仕組みについて知っているわけではないが、そんな私でも「異例づくめ」だと理解できるほど、映画で描かれる裁判はとにかく異常なのである。
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