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【危機】教員のセクハラは何故無くならない?資質だけではない、学校の構造的な問題も指摘する:『スクールセクハラ』(池谷孝司)

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「スクールセクハラ」は何故絶えないのか?個人と組織の問題に斬り込むノンフィクション

「自分に権力がある」と気づけない教師たち

本書は、教育現場での教師による性暴力・性犯罪などを扱った作品だ。共同通信の記者である著者が、被害者にも加害者にもアプローチし、その本質を抉り出している。

本書の記述で最も驚かされたのは、「自分は生徒に対して『権力』を持つ存在だ」という認識ができていない教師が多い、ということだ。

教師の仕事は好きでした。でも、根本的なところで間違っていました。自分が権力を持っているなんて考えもしませんでした

こう述懐するのは、小学4年生の生徒へのセクハラで執行猶予付きの判決を下された元教師だ。この教師は、自分に「権力」があるとは思っていなかったため、生徒の返答をすべて言葉通りに受け取り、「相手は自分のことが好きなのだ」と勘違いした。この教師は、純粋に「恋愛」のつもりだったと語っている。

そもそも小学生と「恋愛」が成立するという発想そのものが危険なのだが、一旦それは置いておこう。何故なら、そこに焦点を当ててしまうと、「教師の頭がおかしいだけ」と思考がストップしてしまうからだ。

本書はそうではなく、「自分も他人に対して意識せず『権力』を行使してしまっているのかもしれない」と自身を見つめ直す気持ちで読む方がいいと思う。

「私は生徒の目線に立って指導しています」と言う先生は多い。「でも、あなたに権力があるのは歴然としている」と私は指摘します。進学のための内申書を付け、部活動の選手を選ぶのだから、と。そう言われて初めて自分の権力に気付く人が多いんです

これは、本書に登場する、スクールセクハラの解決に専門的に取り組んでいるNPO代表の亀井さんの言葉だ。この指摘は当たり前のことだと感じるが、言われなければ気づかない教師が多いというのは驚きだ。

上述の小学4年生は恐らく、先生に対して「怖い」「逆らえない」と感じていて、当然のことながら「嫌だけど仕方ない」という気持ちで教師と対峙していたはずだ。しかし教師はそのことに気づかず、生徒が自分に好意を抱いていると錯覚していた。

相手が小学生だから相当異様な話に聞こえるが、これに類する話は、日常の様々な場面で起こっているだろう。

というか私は、女性からそういう話を多数聞く機会があった。

私がよく目にしていたのはこんな場面。職場の上司的な立場の異性に対して女性スタッフが、裏ではボロクソにけなしながら、本人のいるところではそんな素振りをまったく見せず、むしろポジティブな感情を持っていると受け取られるような振る舞いをするというもの。女性には女性なりの処世術がある。やはりまだまだ男性優位になってしまっている社会の中で、ある程度穏やかな立ち位置を得るために、自分の気持ちをグッと押し殺し、嫌いな素振りを一切見せずに振る舞っているのだ。そしてその鬱憤を、本人のいないところで悪口を言って晴らすというわけである。

私はありがたくも、私以外のメンバーは全員女性というような飲み会に呼んでもらえることが多い。そういう場で「女性が職場の上司をボロクソに言う振る舞い」を目にしてきたので、女性がどういう場面でどんな感覚を抱くのかについて、一般的な男よりは知識があると思う。

そして、女性から様々な話を聞いて感じることは、「男は自分に『権力』があるなどと思っていない」ということだ。女性は「NO」と言えないから仕方なく「YES」と言っているだけなのに、男はそのことをまったく理解しない。その感覚の食い違いを何度も実感させられた。

裁判で鈴木が一番ショックだったのは「教師の権力を使って教え子を思い通りにした」と言われたことだという。学校で教師が権力を持つ存在だという意識はまるでなかった

※人物名は仮名

女性からは信じがたい話だろうし、私としても理解し難いのだが、「教師」という職に就いていながら、生徒に対して「権力」を有していない、と男は当たり前に思い込めるだ。

二十五年の教師生活で誰も教えてくれませんでした。他の教師はみんな分かっているのかというと、そんなことはないと思います

この点に関しては、男は自覚してもし過ぎることはないというぐらい注意した方がいいと思う。

セクハラ・パワハラなども基本的に、この認識の食い違いから起こると考えていいだろう。セクハラについては、特に中年男性が「女性が嫌だと感じたらセクハラになるんだから、どうしたらいいか分かんないよ」みたいな発言をするが、その理解は正しくない。「男である」というだけで「女性に対して『権力』を有する存在なのだ」ということをまずは理解しなければならないのである。そして、その理解を微塵も感じさせない人は、何をやってもセクハラ・パワハラだと受け取られてしまう、ということなのだ。

私が何を言っているのか分からないという方は、是非本書を読もう。本書に登場するセクハラ教師たちの言い分に違和感を覚えなければあなたは相当ヤバいし、違和感を覚えるのであればそこから改善していけばいい。そういう試金石として手にとってみるのもいいだろう。

スクールセクハラを取り上げることの難しさ

先述した通り、本書の著者は共同通信の記者である。彼は「スクールセクハラ」について取材を行い、「届かない悲鳴――学校だから起きたこと」というタイトルで全国の新聞社に連載企画を配信した。その連載に大幅に加筆修正し書籍化したのが本書だ。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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