【誇り】福島民友新聞の記者は、東日本大震災直後海に向かった。門田隆将が「新聞人の使命」を描く本:『記者たちは海に向かった』
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「新聞記者としての矜持」が発揮された、東日本大震災での福島民友新聞の奮闘
「紙齢をつなぐ」という耳馴染みの薄い言葉と、新聞人にとっての矜持
私は本書で初めて「紙齢をつなぐ」という言葉を知った。恐らく、何らかの形で新聞に関わっている人でなければ触れる機会のない言葉ではないかと思う。
著者は冒頭でこのように書いている。私は正直、「大げさではないか」と感じてしまった。私が新聞に関わりがないからだろうか、「紙齢をつなぐ」ことがそこまで重要なことには感じられなかったのだ。
しかし読み進める中で、本書に登場する福島民友新聞の面々が、繰り返し「紙齢をつなぐ」ことに言及する。
もちろん、平時であれば「紙齢が途切れる」のは大問題だと思う。新聞が当たり前に発行できる状況下で、何らかの理由によってそれが出来なくなってしまうのであれば、それを「会社の存亡」と捉えるのも分からなくはない。
しかしこのように口にしているのは、未曾有の災害だった東日本大震災でのことなのだ。にもかかわらず、
という感想を抱くのは、ちょっと凄まじいことのように思う。結局のところ、この「紙齢をつなぐ」という感覚については、本書を最後まで読んでも私には上手く捉えることができないものだった。
新聞人としての想いが共通だからこその震災時の行動
ただ、その感覚そのものが理解できなかったとしても、「皆の想いが共通していること」による連帯感みたいなものは、本書から痛いほど伝わってきた。多くの人が、「1人の人間」としてどう振る舞うか以上に、「新聞人」としてこの震災を記録しなければならない、と思い立つのである。
このように語る者たちは、当然、東日本大震災を生き延びたからこそ、当時のことについて語ることが出来ている。結果だけ見れば、彼らの行動は正しかったと言っていいだろう。
しかし全員がそうだったわけではない。震災の日に、1人の若い記者が命を落としている。
彼の名は熊田由貴生。福島民友新聞の記者2年目、24歳の若者だった。
読者の1人がそんな風に語る場面がある。誰からも愛され、記者としても頭角を現しつつあった最中の死。本書では、そんな若者の死を中心に据えながら、福島民友新聞の面々が東日本大震災の日以降に何を見て、どんな経験をしてきたのかが丹念に描き出されていく。
熊田の死に、誰もが後悔の念を抱いている
著者がこんな風に書くほど、福島民友新聞にとって熊田の死は大きなものだった。もちろん、東日本大震災によって多くの人が亡くなっている。福島民友新聞社員の家族・親類にも命を落としてしまった人はいただろう。しかし熊田の場合はやはり、「取材中に亡くなった」という特殊さがある。何かが違えば、死なずに済んだのではないか。誰もがそんな風に感じてしまうのだ。
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