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【思考】文章の書き方が分かんない、トレーニングしたいって人はまず、古賀史健の文章講義の本を読め:『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

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「具体的な文章術の伝授」以前の話も素晴らしく為になる、文章を書く書かないに関係なく読むべき『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

著者は自身について、こんな風に書いています。

大学でなにかしらの文学論を学んだわけでもないし、ライター講座に通った経験もない。せっかく入った出版社も、たった10ヶ月で辞めてしまった。そこからずっとフリーランスの立場でライターを続けている。

つまり本書は、「徹底的に実践によって身につけた文章術の実学」だと言っていいでしょう。文章を書くことに悩んでいる人には有無を言わさず読むことをオススメする作品です。

本書の内容は、大きく2つに分けられます。一般的に「文章術」と聞いて誰もが思い浮かべるだろう記述があるのは、本書の第1講から第4講。いわゆる「HowTo本」的な部分です。文章を書く上で具体的に意識すべき点などについて書かれています。一方、本書の冒頭50ページぐらいを占める「はじめに」と「ガイダンス」には、「HowTo本」的なことは書かれていません。ここでは、「『文章を書く』とはどういう行為か」「なぜ文章を書くのか」といった、「『文章を書く』以前のこと」について触れられているのです。

そして本書は、何よりもその冒頭50ページが素晴らしい作品だと感じました。もちろん、具体的なテクニックに触れている第1講以降の記述も良いのですが、冒頭はそれ以上に興味深いと言っていいでしょう。具体的なテクニックは、実際に文章を書く人にしか関係ありませんが、「文章を書くこと」そのものに関する記述は、文章を書かない人も含めたすべての人に関わる話だからです。

そんなわけで、「普段文章を書く機会なんかない」という人も読んだ方が良い作品だと思うので、気が向いたら手に取ってみてください。

「文章を書く技術」を身につけなければならない理由

多くの人が実感していることだとは思いますが、本書にはこんな記述があります。

われわれが文章を書く機会は、この先増えることはあっても減ることはない。

本書が出版されたのは2012年。今から10年も前のことですが、状況に大差はないでしょう。

著者が出版社に入社したのは、本書出版の15年前のこと。その当時は、会社の名刺にメールアドレスは記載されていなかったといいます。個人にはまだ、メールアドレスが付与されていなかったというわけです。メールアドレスどころか、パソコンも1人1台ではなく、中小企業のほとんどが自社のHPを持っていませんでした。取引先とのやり取りの中で文章を書く機会は、年賀状・暑中見舞い・招待状・詫び状ぐらいだったそうです。

一方現代では、メールやチャットなどが仕事で使われ、ブログやSNSで日々多くの人が何かを発信しています。文章を書く機会が増えることはあっても、減ることはまずないと言える状況にあるというわけです。そんな世の中で「書く技術」を持たないのは、羅針盤を持たずに航海に出るようなものかもしれませんい。

また、「文章を書く技術」を身につけるべき理由は決してそれだけではありません。本書で著者はこんな風に指摘しています。

答えはひとつ、「書くことは、考えること」だからである。
”書く技術”を身につけることは、そのまま”考える技術”を身につけることにつながるからである。

私はこの主張にとても共感しました。こうして、日々ブログに駄文を書き連ねている身として、「書くことは、考えること」という捉え方は、非常にしっくり来るからです。この点についても後で詳しく触れていきたいと思います。

「『話せるのに書けない』を解消すること」が本書の目的

著者はまず、本書の目的についてこんな風に書いています。

ということはつまり、本書の目標は「文章がうまくなること」なのだろうか?
残念ながら、少し違う。
文章が「うまく」なる必要などない。
本書が第一の目標とするのは、「話せるのに書けない!」を解消することだ。より正確にいうなら”話し言葉”と”書き言葉”の違いを知り、その距離を縮めることである。

この「話せるのに書けない」という状態に心当たりがあるという方、結構いるのではないかと思います。

いつどんな場面での出来事だったのかまったく覚えていないのですが、私の頭の中にはこんな記憶があります。確か、誰か(誰なのかさえ覚えていません)から、「読んだ本の感想が書けない」みたいな相談を受けたんだったはずです。そこでまず私が、「じゃあとりあえず、その本の感想を喋ってみて」と言ってみると、その人はペラペラ喋りました。その後、「じゃあ、今喋ったことをその通りに文章にしてみて」と言ったのですが、何故か書けないというのです。「えっ、さっき喋ったじゃん。その喋ったことを、喋った通りに書いてくれればいいんだけど」と言ってみても、どうもダメでした。私には何が引っかかっているのかよく分からなかったのですが、まさにこれこそ「話せるのに書けない」という状態でしょう。

最近では、喋った通りに出力してくれる音声入力がかなり進化しているはずだし、そういうやり方で文章を書いているという方もいるでしょう。それで問題ないという方はいいのですが、先程触れた通り、「書くことは、考えること」なので、やはり音声入力に頼らずに文章が書ける方がいいだろうとも思っているのです。

本書で著者は、読者の疑問を先回りするように、「女子高生はメールでコミュニケーションを取っているじゃないか」のような批判を想定しています。「メール」の部分には、LINEやらSNSのDMやら、時代にあったコミュニケーションツールを当てはめてください。とにかく「若い世代でも文章を書く機会は多いし、それでコミュニケーションが取れているのだから、『話せるのに書けない』なんて指摘はおかしい」と感じる人もいるだろうと著者は考えるのです。

しかし著者は、それらが「『絵文字』を交えた文章」であることに問題があると指摘します。これも現代風に、LINEのスタンプやら若者独自の略語・新語などに置き換えて下さい。

「絵文字」に限らず、「笑」「www」「泣」みたいな表記も「絵文字的なもの」として扱って議論を進めていくのですが、これら「絵文字的なもの」で補完された文章は、ある意味で「話すこと」に近いと著者は指摘しています。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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