【不謹慎】コンプライアンス無視の『テレビで会えない芸人』松元ヒロを追う映画から芸と憲法を考える
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コンプライアンスが厳しいテレビには”出演できない”芸人・松元ヒロを追う映画は、とにかく面白かった!
メチャクチャ面白い映画である。私はそもそも、「松元ヒロ」という芸人の存在を知らなかった。テレビには一切出ず、舞台だけで生計を成り立たせている人物のだ。芸人以外の収入は恐らくないはずで、その上で結婚して子どもも育てている。吉本興業など大手の事務所に所属していれば、所有する劇場に出演できるのだろうが、松元ヒロは、様々な会場を借りて自前で公演を行うスタイルでやっているのだ。それでよくも生活を成り立たせるだけの収入が得られるものだと感心してしまった。
松元ヒロは、コンプライアンスの厳しいテレビではやれないネタばかりやるため、舞台に生きることに決める。しかし、上映中に観客が一番爆笑していたのは、テレビでも全然話せるようなものだ。つまり、話芸がもともと達者なのである。文字で書いても面白さは伝わりにくいかもしれないが、その話を紹介したいと思う。
5つ年上の奥さんと電車に乗った時のこと。2人は、中学生ぐらいの女の子とその父親らしき人物が優先席に座っているのを見かける。さらに女の子は、恐らく母親だろう相手に電話を掛けていたという。それを見た妻は、「あんた、ここ優先席なんだから、電話切りなさいよ」と強い口調で指摘した。ざわつく車内。そこで松元ヒロが口を開く。
それを聞いた乗客は爆笑、車内の空気は一瞬で変わった。2人が電車を降りる際、松元ヒロが乗客に手を振ると、さらに爆笑が起こった、というエピソードである。
どれだけ面白さが伝わったか心許ないが、とにかく松元ヒロは、「不謹慎なことを言うから面白い」のではなく、優れた話芸を持つ人物なのだと感じた。あの立川談志も絶賛したというのだから、凄い実力者なのだろう。
立川談志が激賞した芸人・松元ヒロの来歴
今でこそ、松元ヒロをテレビで観ることはないわけだが、彼は元々テレビを主戦場に大活躍をしていた人物だった。
そもそもデビューは「お笑いスター誕生!!」であり、そこでダウンタウンらを打ち破って優勝したというのだから、これだけでも相当なエピソードだろう。さらにその後、政治家や著名人などを風刺するネタを行うコント集団「ザ・ニュースペーパー」で大ブレイク、その当時のテレビの世界を席巻するほどの人気者になっていく。映画には当時の映像も流れるが、確かに、現代ではなかなかやれないかもしれない、政治家を揶揄して笑うみたいなブラックなネタをテレビでバンバンやっていた。
しかし、その後彼は「ザ・ニュースペーパー」を脱退する。そして、年間120公演をこなす「テレビで会えない芸人」になったというわけだ。
映画には、「すわ親治」という人物も登場する。かつてコメディアンをしており、ドリフターズのコントに出演したこともあるそうだ。志村けんは兄弟子だという。松元ヒロはすわ親治のことを、「ドリフターズのコントにも出演している雲の上の人」だと思っていた。しかし、テレビで松元ヒロを見たというすわ親治から連絡があり、後に「ザ・ニュースペーパー」で一緒にコントをやる関係になったというのだから、人生何が起こるか分からない。実は2人は、鹿児島実業高校の同級生だったのだ。
そんなすわ親治が、「ザ・ニュースペーパー」時代について語る場面がある。テレビだから、どうしてもスポンサーの存在は無視できない。だから、彼らのコントにもあれこれ注文がついたそうだ。「金丸を銀丸にしろ」とか「竹下を松下に変えろ」などだ。現在の感覚で言えば、「岸田を西田に変えろ」みたいな注文だと思えばいいだろう。そしてすわ親治は、「牙を抜かれたコブラみたいなもん」だと感じてしまう状況に嫌気が差し、辞めてしまったのだ。その話を受けて、松元ヒロがさらに自身のエピソードを語ることはなかったが、きっと彼も同じ想いだったのだと思う。別の場面での描写だが、「ザ・ニュースペーパー」の生みの親である松浦正士の死の報に際し、松元ヒロが「喧嘩別れのように辞めた」みたいに話していた。やはり、納得の行かないことがあったのだろう。
松元ヒロが、「ザ・ニュースペーパー」を脱退した理由について明確に語る場面もある。
当時小学生だった息子に、妻が「テレビに出ている父親を見ないの?」みたいなことを聞いてみた。すると息子は、「いい、同じことやってるだけだもん」と答えたのだという。それを受けて松元ヒロは、
と、自身の生き方について考え直したと言っていた。恐らくこれが、脱退の直接の理由なのだろう。しかしだとしても、テレビの仕事をスパッと辞め、成り立つかどうかも分からない「舞台だけでお金を稼ぐ芸人」として生きる決断をするのだから、それもまた凄まじい話だと思う。
映画には、撮影当時39歳の、高校教師の職に就いた息子本人も出てくる。舞台が始まる前に楽屋で父親と話をする場面で、息子は、
と語っていた。彼の選択は正解だったと言っていいだろう。
さてそんな松元ヒロのエピソードで印象的だったのが、落語家・立川談志との関わりだ。ある日突然、松元ヒロの舞台終了直後に壇上へと上がり、観客に向かってこう言ったそうだ。
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