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【覚悟】人生しんどい。その場の”空気”から敢えて外れる3人の中学生の処世術から生き方を学ぶ:『私を知らないで』(白河三兎)

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厳しい現実とどう向き合うか

世界の接点で闘い続ける3人と、高野の話

「学校」というのは、なかなか残酷な場です。何も考えずに集団生活にすんなりと馴染める人もいるでしょうが、私は、集団の中でそこそこ上手くやっていくために、日々頭をフル回転させる必要があったな、と振り返って感じます。

今も昔もそう変わらないでしょうが、多くの人が無意識のうちに空気を読んで、その空気から外れないように行動するというのが、集団における当たり前の振る舞いだろうと思います。敢えて目立ちに行く人も中にはいるでしょうが、多くの人は、なるべく目立たず、無難に、穏やかに日々が過ぎていくように、自分の振る舞いを調整してしまうと思います。

しかし、この物語の中心となる三人の中学生は、「敢えて空気を読まない」という逆の選択をします。彼らがそういう選択をせざるを得ないのは、彼らが「世界の接点」で闘い続けているからです。

自分と世間の感覚がズレる場合、そのままにしていればその接点で摩擦熱が発生し、トラブルや緊張が起こります。それを避けようと多くの人は、自分の感覚の方を調整して摩擦熱が発生しないようにするでしょう。しかし中には、その接点で闘うことを決める者、闘わなければならない者もいます。中学生ながらにそういう状況にいるバラバラな3人が、本書では描かれます。

その内の一人である高野は、割と単純な人物です。彼は、「優しさ」から逃れられないという不幸を背負っています。ヒーローに憧れているので、「優しくあるべきだ」という考えを前面に出すという、分かりやすい闘い方をするのです。

単純であるが故に時に鈍感で、しかも自己防衛に長けていないので脆くもあります。自分を覆うベールが薄いが故に傷つくことが多くある一方で、ベールが薄いが故に他人のそれも薄いだろうと楽観視でき、ためらわずに相手に飛び込んでいけたりする人物です。

高野の闘い方はとても下手くそに感じられてしまいますが、実際に高野のように振る舞うかどうかはともかくとして、多くの人の中に「高野的な何か」は宿っていることでしょう。そういう意味で高野というのは、トリッキーなキャラクターに見えつつも、この物語の中では、世間一般を体現する存在として描かれているのだと感じます。

キヨコのこと

しかし、キヨコと黒田は、高野とは違って非常に異様な行動原理で動いています。その異様さに私は非常に惹かれるのですが、私の感覚は別として、「彼らのように生きざるを得ない境遇」については、多くの人が考えさせられるのではないかと感じます。

とはいえこの記事では、キヨコが置かれた環境について具体的には触れません。まさにその部分が、本書の核と言っていいからです。

キヨコは、誰もが驚くほどの美人でありながら、クラスでは完全に無視されています。というのも、キヨコの言動や、その背景にある価値観が、同世代の中学生とはまったく違うものだからです。

読者も最初は戸惑うことでしょう。キヨコという人物を上手く捉えることができないからです。それほどまでにキヨコの振る舞いは常軌を逸しています。

しかし物語を読み進め、キヨコがどんな現実に直面しながらギリギリの細い道を必死で歩こうとしていたのかを知れば、それまでのキヨコへの印象は一変するのではないかと思います。

具体的な背景に触れないので漠然とした言い方になってしまいますが、「残酷な現実」と「中学生の日常」という、接続させることが不可能な2つの世界をなんとかつなぎ合わせるためにキヨコは奮闘します。彼女は、生活していくことを何よりも最優先せざるを得ませんでした。だからこそ、クラスメートにどう思われるかなんてことに気を配る余裕がなかったのです。

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