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【魅惑】バーバラ・ローデン監督・脚本・主演の映画『WANDA』の、70年代の作品とは思えない今感

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1970年代の作品とは思えない「今っぽさ」を放つ、バーバラ・ローデン監督の映画『WANDA』のカッコよさ

まったく「古さ」を感じなかったことに驚かされた

映画『WANDA』について、鑑賞前の時点で知っていることは何もなく、というかそのような映画が存在することさえ知らないままでした。映画館で観た予告が結構良かったので、「予告が気になった」というだけの理由で観てみることに決めたというわけです。なので、1970年代の映画だと知ったのは、映画を観終えた後のことになります。

まさか50年以上も前の映画だとは思わなかったので、本当に驚かされました。

古く見える部分は「意図的にそうしている」のだと思っていて、映画自体は「現代で撮られたもの」だと信じて疑っていませんでした。これはもちろん、私が「外国人の観客だから」ということも関係するでしょう。1970年代のアメリカを知っている人が見れば、やはり「古さ」を感じるのかもしれませんが、私には比較対象がないため、現代的に感じられたのかもしれません。

この映画は、1970年のヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞するも、当時アメリカ本国ではほぼ黙殺されたそうです。その後、「この映画のファンだ」と公言する様々な人物の働きかけにより、GUCCIの支援を受けてプリントが修復されました。ニューヨーク近代美術館で行われた「修復版上映会」は行列が出来るほどの盛況で、2017年には「後世に残す価値がある作品」と認められ、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されることが決まります。監督は、この映画の公開から間もない1980年に48歳の若さで亡くなってしまったので、恐らく、今集めているような称賛を生前知ることはなかったはずです。

映画には、物語らしい物語はほぼ存在しません。まずはざっくり内容を紹介してみましょう。主人公のワンダは、映画冒頭ですぐに離婚を突きつけられ、バーでビールを奢ってくれた男性とモーテルに行くも、男はあっさりとワンダの元を去ります。僅かに所持していた現金は映画館で奪われてしまいました。その後、「トイレを貸して」と言って閉店後のバーに潜り込んだワンダは、そのバーにいたデニスという男と行動を共にする……という展開になります。物語の大半はワンダとデニスの逃避行に費やされ、2人が奇妙な関係を構築していく様が描かれていくというストーリーです。

正直なところ、ただそれだけの映画の何が良かったのか、自分でも上手く説明が出来ません。不思議な映画だと感じました。

「ワンダ」役の女性が、監督・脚本も務めているという驚き

映画はとにかく、ワンダの魅力のみで成立していると言っていいぐらい、とにかくワンダが素敵です。正直なところ、自分の身近に彼女のような人がいたら、「ちょっとめんどくさいかも」と感じてしまうような人格ではあるのですが、傍目に見る分にはとても魅力的に映ります。

鑑賞後に、この映画について調べて、ある事実に驚かされました。それは、「主演を務めたバーバラ・ローデンが、監督・脚本を務めている」という点です。ただ、初めは、この事実の一体何に驚いたのか、私は上手く捉えきれませんでした。少し考えて、「ワンダという女性にリアリティを感じたからこそそんな風に考えたのだろう」と思い至ったのです。

ワンダは、ちょっと「ダメ」な感じの女性です。現代であれば恐らく、「発達障害」や「精神疾患」など、何らかの病名がつくようなキャラクターだと私は感じました。ワンダ自身も、自分のことを「バカなの」と口にしてしまうほどです。

例えば、ワンダが買い物を頼まれる場面。デニスが買ってくるべきものをいくつか言うと、ワンダはそれを何度も繰り返し尋ねます。すぐに忘れてしまうのでしょう。しかも、「ホテルを出て左に曲がって2軒先」という店までの道筋も何度も聞き返す始末です。さらに、部屋番号も覚えていなかったようで、帰ってくる時にはフロントの人に確認しなければならないほどでした。

さて、私はそんなワンダをとてもリアルな存在だと捉えていたので、「あのワンダが映画を作ったなんて」と驚かされたというわけです。もちろん、冷静に考えればとてもおかしな受け取り方なのですが、自分がこんな風に感じたことで、ワンダという女性にリアリティを感じていたことがより一層実感できたとも言えます。

そして、そんなダメダメなワンダがとても魅力的に映る映画なのです。

冒頭でワンダは、離婚協議のための裁判に出廷します。しかし、「夫が離婚を望んでいるならそれでいい」と非常に投げやりな態度です。1970年代であれば、アメリカに限らず世界的に、「女性は家で家庭を守るべし」みたいな風潮が強かったのではないかと思います。そして、そういう時代背景を踏まえた場合、ワンダは、「男が結婚相手に抱く期待」を実現する存在ではありません。当時の常識では、シンプルに結婚には向いていないタイプの女性だと思います。

一方で、ワンダはとても美しい女性です。パーマのカーラーを頭に巻いたまま、パジャマのような格好で裁判所に現れ、疲れの滲んだ表情で佇んでいるのですが、それでもどことなく美しさを感じさせています。

ワンダが、そんな「隙のある美しさ」を放つが故に、周りの男たちが誘蛾灯に近づく虫のように寄ってきます。そしてそのことが、彼女をギリギリのところで生かしているのです。凡そ社会生活に向いていないとしか言いようのない彼女が、どうにか社会の中でその存在を保てているのは、なんだかんだ関わろうとする男が現れるからだと言っていいでしょう。

この映画では、そんな風にしか生きられない女性の悲哀が全面に描かれています。

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