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【挑戦】東日本大震災における奇跡。日本の出版を支える日本製紙石巻工場のありえない復活劇:『紙つなげ』(佐々涼子)
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「本」を読んでいるのに、私たちは「紙」のことを知らない
「紙」は工業製品ではない
本書は、東日本大震災の甚大な被害から立ち直った製紙工場の話だ。
しかしいきなりその話に触れる前に、まずは「紙」について理解しておこう。
私たちは、「紙って工場で作ってるんでしょ?」という程度にしか考えていないだろう。私も、工場の機械に材料をセットしボタンを押せば、すべて機械が上手いことやってくれ紙が完成する、そんなイメージでいた。確かに紙は、昔は手作りだったわけで、それはある種の職人技だっただろう。しかし工場で作られることで、それは工業製品になったのだ、と思っていた。
しかし本書を読んで、まずこの認識が間違っていることを知った。
製紙会社には、紙の作り方を記した門外不出の「レシピ」と言われるものがある。表面の仕上げに使う薬品など、それぞれの紙の仕上げ方は、長年の研究の上に積み上げたものである。それらもまた、知的財産としてそれぞれの工場内で伝えられている。しかし、「レシピ」だけでは完璧に仕上げることができない。最後の微妙な塩加減が料理人の腕にかかっているように、技術者たちの微調整が完璧な紙を作り上げているのである
私が生まれ育った町は製紙工場がたくさんあり、その大きさはなんとなく知っている。あんな大きな工場で作っているものが、実は技術者の微妙なさじ加減によって調整されているとは、正直驚きだった。
だからこそ技術者は、自分が作った紙が分かるという。日本製紙石巻工場には、「8マシン」と呼ばれる抄紙機があり、そのリーダーである佐藤憲昭は、
「うちのはクセがあるからね。本屋に並んでいても見りゃわかりますよ」と言葉に紙への愛情をのぞかせる
と語っている。一般的な工業製品ではこうはいかないだろう。本書には、「佐藤が遠くへ出張すると、そんな日に限って故障する」というエピソードも載っている。工場内では、「姫がご機嫌を損ねる」と呼んでいるそうだ。眉唾っぽい話ではあるが、こんな話が当たり前のこととして語られるほど、「紙」というのは職人の想いがこもった製品だ、ということだろう。
出版の「紙」はどこで作られているか?
さて、先程紹介した「8マシン」(8号抄紙機、8号などとも呼ばれる)は、1970年に稼働した古い機械だ。そしてこの「8マシン」こそ、単行本・文庫・コミック用の紙を作り続けてきた機械なのだ。非常に高度な専門性を持つ機械であるが故に、「8マシン」で作る紙は、他の工場では作れないものが多かったという。
また本書には、
現に、日本の出版用紙の約四割を日本製紙が供給してきたのだ
とも書かれている。「8マシン」でしか作れない紙がたくさんあり、それを保有する日本製紙が出版用の紙の4割を供給してきたということは、大雑把に考えて、「8マシン」が日本の出版用の紙の4割を作っている、というような認識でも、あながち間違ってはいないかもしれない。
そう、出版を支える紙は、「8マシン」がある石巻工場で作られているのだ。そしてここが、東日本大震災で甚大な被害を受けた。
著者は震災直後、懇意にしている編集者からこんな話を聞くことになる。
「今、大変ですよ。社内で紙がないって大騒ぎしてます。石巻に大きな製紙工場があってね。そこが壊滅状態らしいの。うちの雑誌もページを減らさないといけないかも。佐々さんは東北で紙が作られてるって知ってましたか?」
私は首を振った。ライターの私も、ベテラン編集者の彼女も、出版物を印刷するための紙が、どこで作られているのかまったく知らなかったのだ
本を作る編集者や、本を書く著者でさえ、出版用の紙がどこで作られているのか知らなかったのだ。まあ確かに、それもそうだと思う。何か特別なきっかけでもなければ、「この紙はどこで作られているんだろう?」などと考えることはなかなかないだろう。
東日本大震災がもたらした出版の危機を、「8マシン」のリーダーである佐藤憲昭はこう断言している。
8号が止まるときは、この国の出版が倒れる時です
東日本大震災で壊滅的な被害を被った日本製紙石巻工場は、自らも厳しい状況に置かれた被災者でありながら、「日本の出版」という大きなものを背負って事態に当たっていたのである。
楽観的に見積もっても、復旧には数年かかるだろう……
被災した工場を見た技術者たちの絶望の声が、本書には多く収録されている。
あれを見て、工場が復興できると思った人は誰もいない
果たしてこんな工場が生き返ると、誰が思うだろう。池内はこの時、工場の閉鎖を覚悟した。
<これなら、最初から新しく工場を作ったほうが早いんじゃないのか?>
そして、仮に復旧できたとして、早くても数年はかかるだろう。誰もがそう考えた。
しかし、工場長である倉田は、誰もが驚く、信じがたい決断を下す。
ところが次の瞬間、倉田は表情を変えることもなく、課長たちが耳を疑うようなことを言い始めた。
「そこで期限を切る。半年。期限は半年だ」
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