【神秘】脳研究者・池谷裕二が中高生向けに行った講義の書籍化。とても分かりやすく面白い:『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』
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コメンテーターとしても活躍する著名な脳科学者による「脳講義」はとてつもなく面白い
本書の構成について
この記事では、『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』という、脳科学者・池谷裕二の著作2冊を取り上げる。それぞれ、本の成立過程が若干違うが、共に「中高生向けに行った講演を元にしている」という点は同じだ。
『進化しすぎた脳』は、著者がアメリカ留学中に中高生向けに行った講演がベースになっている。一方『単純な脳、複雑な「私」』は、高校生に向けた講演に加えて、その講演を聞きさらに関心を持った9名に対して行った講義を元にしている。そういうわけで、『進化しすぎた脳』より『単純な脳、複雑な「私」』の方が若干高度といえるかもしれない。
親本の発売は、『進化しすぎた脳』が2004年、『単純な脳、複雑な「私」』が2009年であり、書かれている情報は決して最新の研究が反映されたものではない。もしかしたら、これら2書目に記述されている内容で、新たな研究によって否定されたものもあるかもしれない。しかし、仮にそうだとしても本書はオススメだ。
何故ならこの2冊は、「興味を抱かせる作品」だからだ。
著者は、自力ではなかなか理解が難しい科学の先端領域を分かりやすく噛み砕いて説明してくれる。そんな研究が行われていることさえ知らない人たちに向けて、新しい関心の扉を開こうとしているのだ。
本書は、講演をベースにしていることもあって喋り言葉で綴られており、一般向けの科学書の中でもかなり読みやすいだろうと思う。内容そのものは高度で、ついていくのが難しい記述もあるかもしれないが、著者はできるだけ易しく説明しようとする。本書をきっかけに知らなかった世界への興味を抱けば、そこからさらに自分で関心を深めていけるというわけだ。
しかし、最初のきっかけさえ掴めなければそれもなかなか難しい。
第一線の研究者が一般向けに本を書いたり講演したりすることを「アウトリーチ活動」と呼ぶ。そして著者はこの「アウトリーチ活動」を通じて、科学に関心を持ち、研究を志す次の世代を生み出そうとしているのだ。
しかしそんな「アウトリーチ活動」を批判する声もあるのだという。
これらの批判に対して著者は、
と謙虚な姿勢を崩さないが、私はそうは思わない。科学への知識や関心が薄いために極端なデマが広まってしまいがちな世の中だからこそ、それが誰であれ「科学の知見を分かりやすく説明できる人」はその能力を遺憾なく発揮してほしいと思う。著者は、第一線の科学者でありながら「科学の知見を分かりやすく説明できる人」でもあるという非常に貴重な存在なので、これからも是非「アウトリーチ活動」に精を出してほしいと思う。
それでは以下、私が特に面白いと感じた事柄について羅列していくような形で、この2書目の内容に触れていこうと思う。
「脳の進化」は「身体」と関係がある
「脳」と「知能」の関係性は、なかなか簡単には捉えられない。例えば、「脳の複雑さ」だけで考えれば、「人間の脳」よりも「イルカの脳」の方が上だという。確かにイルカは知能が高いと言われるが、しかしそれは人間を凌駕するほどのものではない。「脳の複雑さ」だけでいえば人間を上回っているイルカは、何故人間よりも高い知能を持っていないのだろうか。
その理由は「身体の違い」である。イルカは確かに複雑な脳を持っているが、それを最大限に活用するための「身体」がない。「身体」と連動することによって「知能」は強化されるわけで、決して「脳の複雑さ」だけで決まるのではないというわけである。
しかし、そんな人間にしても、脳の力を全然引き出せていないという。著者いわく、「人間の身体」という実に性能の悪い乗り物に、「人間の脳」という高度な器官が乗っている、という状態なのだそうだ。今の「人間の身体」のままであれば、これ以上脳の力を引き出すことは難しい。
例えば、人間の手足が100本あり、超音波を使え、空も飛べるような「身体」であるならば、その「身体」に引きずられるようにして脳の機能をさらに引き出せるだろう、と書かれている。脳というのは決して「身体」に対して高次の存在というわけではなく、お互いがお互いを支配し合う存在なのだ、という視点はなかなか興味深い。
「目で見るもの」と「脳で見るもの」の違い
目と脳の関係も非常に面白い。
人間の目は本来、目の中心に近い部分しかカラーでは見えていないという。目の中の、色を認識する細胞の分布からそう判断できるらしい。目の中心から外れた部分で捉えた光は、本来白黒でしか捉えることが出来ていない。
しかし私たちが見ている視界は、すべてカラーで見えている。これは、「脳が勝手に色を付けているから」だ。目から入った情報を脳が認識し、白黒の部分の情報を補っているというのである。
また、本書で紹介されていた例ではないが、目に関してはこんな話を聞いたことがある。日常会話でも「それは盲点だった」などと使う「盲点」だが、これは実際に目の中に存在する。眼球の光を感じる部分に視神経がくっ付いているのだが、その視神経が接触している部分が「盲点」である。ここでは光を感知できないため、普通であれば、視界の一部に黒い点のような認識できない部分ができるはずなのだ。
しかしそうはならない。それも、脳が勝手に情報を補っているからだ。
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