【絶望】「人生上手くいかない」と感じる時、彼を思い出してほしい。壮絶な過去を背負って生きる彼を:『人殺しの息子と呼ばれて』(張江泰之)
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「マスコミさえ報道規制をする残虐な殺人事件の犯人の息子」として生きる壮絶さと覚悟
「北九州連続監禁殺人事件」と、その犯人の息子として生を受けた男
『消された一家』(豊田正義/新潮社)という本がある。
このノンフィクションは、「北九州連続監禁殺人事件」として知られる凶悪犯罪を取材した作品だ。
とんでもない事件である。今まで様々な事件ノンフィクションを読んできたが、その中でもまさに「鬼畜」としか言いようがない、人間の所業とは信じたくないと感じさせられる事件だ。
あまりにも酷いその事件の詳細はここでは触れない。『消された一家』を読むか、ネットで調べるかしてほしい。警告しておくが、あまりに酷すぎる事件なので注意してほしい。その残虐さ故に、マスコミさえあまり報道しなかったほどだ。
この本で取り上げられるのは、そんな事件を起こした犯人の息子として生きる男である。
彼は、ただ単に「犯罪者の息子」というだけではない。それだけでもあまりに辛い境遇だが、さらに彼には「死体遺棄」の記憶がある。「北九州連続監禁殺人事件」は、見知らぬ者や家族同士を殺し合わせ、その死体を遺棄させるというとんでもない事件だったが、まだ幼かったこの息子も、その手伝いをさせられていたのだ。
両親の逮捕時10歳だった彼は、学校に通わせてもらっていなかった。それもあって、自分がやらされていたことが何なのか当時は理解できていなかったが、やがて事件について嫌でも耳にするようになると、「あの時自分が手伝わされたのは、死体遺棄だったのだ」と理解できてしまったという。今でも、当時の”異臭”と共に、その記憶が蘇る。
10歳で世間に放り出されることになった彼は、小学3年生のクラスに入れられたが、彼はまだ「ひらがな」と「カタカナ」の存在しか知らなかった。「漢字」が何なのか理解できなかったし、「書き言葉」と「話し言葉」が同じものだという感覚もなかったという。「日本語を口から発することはできるが、自分が発している言葉の意味が分からない」という、私たちにはなかなかイメージしがたい状態にあったとも語っている。
あまりに凄まじい。
今でも、生活が順調とは言えない。夜家にいる時には明かりをつけない。ドアを開けると、自分でもおかしなことをしていると思いながら、どうしてもドアの裏側に人がいないか確認してしまう。
それでもなんとか生きている。いや、むしろこんな風にも言う。
凄い言葉だ、と思う。
本書は、否応なしに強く生きざるを得なかった男の、奮闘と決意と魂の叫びの記録である。
彼が「ザ・ノンフィクション」の取材を受けた理由
彼のインタビューは、「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ系)という番組で流れた。顔出しこそしていないが、声は変えていない。「ザ・ノンフィクション」の歴史の中でも「インタビューのみで構成された回」は初めてであり、さらにこの回は異例の反響を集めたそうである。「ザ・ノンフィクション」は昼放送の関東ローカルの番組なのだが、そうとは信じられないほどのすさまじい反応だったのだ。
しかし、番組側から彼にアプローチをしたわけではない。最初のきっかけは、クレームだった。
本書の著者は、「追跡!平成オンナの大事件」という番組を企画し、その中で「北九州連続監禁殺人事件」も取り上げたのだが、その番組へのクレームだった。確かにその電話はクレームであり、彼は「両親の事件を取り上げないでほしい」と伝えている。しかしそれだけではなく、著者に対してこんなことも言うのだ。
実は著者はこの番組を作るに当たり、最後の最後まで子どもたちへの取材を行うか決めかねていたという。そして悩みに悩んだ末、信頼するディレクターに、子どもたちを取材するのは止めてくれ、と伝えたのだ。しかしなんと、その当の本人から、私のことを取材しないのは怠慢ではないか、という電話がきた。著者は驚いたことだろう。
そんな経緯があり、彼は「ザ・ノンフィクション」に出演することになったのである。番組の中で彼は、カメラの前でインタビューを受けることについて、こんな風に語った。
あまりに特異な人生を歩んできた彼が、「自分の存在が少しでも何かの役に立つかもしれない」という思いで表に出てくる。なかなかできることではないと思うし、勇敢だと言っていいだろう。
インタビューを受ける彼の覚悟
自ら「声は変えなくていい」と申し出た彼が、このインタビューに臨む覚悟は、並々ならぬものがある。
これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます
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