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【敗北】「もつれ」から量子論の基礎を学ぶ。それまでの科学では説明不能な「異次元の現象」とは?:『宇宙は「もつれ」でできている』

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「もつれ」という量子力学の奇妙な現象は、どう発見され、どう活かされているのか?

本書は、「もつれ」と呼ばれる現象を中心にして、科学者たちによるどんな議論や発見があったのかを非常に詳細に記述していく作品だ。また、様々な文献から手紙の文面などを拾うことで、「かつて科学者たちはこんなやり取りをしていたに違いない」という“妄想の会話”をふんだんに再現するという、途方も無い労力を掛けている作品でもある。普通のノンフィクションではなかなかあり得ない「過去の科学者の会話の再現」については、是非本書で体験してほしい。

この記事では、本書に記述されている「もつれ」の説明とその発見の歴史について、ぎゅっと圧縮するような形で書いていこうと思う。

「もつれ」についてざっくり説明

まず「もつれ」とは何であるかざっくり説明しておこう。

例えば、原子が2つあるとし、両者は仮に100億kmも離れているとしよう。そしてこの2つの原子が「もつれ」の状態にある場合、一方の原子に対して行った操作が、瞬時にもう一方へと伝わる。

このように、「たとえ100億km離れていても、この2つの原子は1つの物体であるかのように振る舞う」という状態が「もつれ」と呼ばれる。

なんのこっちゃ? という感じだろう。それで問題ない。

というのも、このような「もつれ」という状態が存在することは認められているものの、未だになぜそんなことが起こるのか分かっていないからだ。科学者としても、「実験してみるとそうなるから、『もつれ』は受け入れなきゃいけないが、でもよく分からん」という状態なのである。

しかしこの「もつれ」、意味不明な現象ではあるのだが、我々人類の生活を大きく変えるものに使われる可能性がある。それが「量子コンピュータ」だ。現在のスーパーコンピュータとは計算速度が比べ物にならないと言われる量子コンピュータには、基本原理として「もつれ」の状態が関わっている。そういう意味で、我々とまったく無関係、というものでもないだろう。

そんな謎めいた現象は、量子力学の中心的人物として知られるボーアを批判するためにアインシュタインが生み出した思考実験をきっかけに広く議論されるようになった。その流れを順を追って説明していこう。

そもそも「量子力学」とは何か?

まず非常にざっくりとではあるが、「量子力学」という分野がどのように発展していったのか概観していく。

1800年代終わり頃、科学の世界では「もうすべて解明された」という気分が支配的だったという。しかしその後、アインシュタインが「相対性理論」を生み出し、そして様々な科学者が寄り集まって「量子力学」が発展することになる。そしてその後、この2つの理論が科学を席巻するのである。

「量子力学」が生まれるきっかけとなったのは、「それまでの科学理論では説明がつかない現象」が発見されたことだ。科学者たちはあれこれ考えるが、全然上手くいかない。そこでプランクという科学者が「破れかぶれ」のアイデアを出す。「光のエネルギーは、とびとびの値を取る」と考えたのだ。

どういうことか。

それまでエネルギーというのは、どんな値も取り得る、と考えられていた。しかしプランクは、彼が「プランク定数」と呼んだ定数の整数倍の値しか取ることができない、と考えたのだ。

例えばこういうことだ。まず、世の中に存在するすべてのリンゴが同じ重さ(100g)だとしよう。このリンゴを秤に載せていく場合、秤の表示は100g、200g、300g……という風に増えていくはずだ。リンゴを載せた時、284gなどと表示されることはない。必ず、100gの整数倍の表示になる。

これと同じように、光のエネルギーも、「プランク定数」の整数倍の値しか取れない、と考えたというわけだ。

プランクとしては、他に方法がないから、とりあえず思いつきでそんな仮定をしてみただけだったそうだが、なんとこれが上手くいってしまった。それまでの科学では説明できなかった現象が、プランクの理屈で説明できてしまったということだ。

ここから「量子力学」が生まれることになる。

さて、プランクの説明は確かに現象をよく記述した。しかすぃ一方で、「それがどういう意味なのか」はさっぱり分からなかった。

ここで「粒子」と「波」の話が出てくる。「光」はこの時点で「波」だと考えられていたのだ。

「とびとびの値を取る」というのは「不連続量」であり、「粒子」と対応し、一方「どんな値でも取れる」というのは「連続量」であり「波」と対応する。

今まで「光」については「波」のようなものとして様々なことを説明してきたのに、今度はプランクが「粒子」のような性質を用いて謎めいた現象を説明してしまった。「光」は「波」でもあり「粒子」でもあるのか? それは一体どういうことだ?

そして光に限らず、「波」と「粒子」の二重性は様々な場面で見え隠れすることが分かってきた。実は、アインシュタインのノーベル賞も、有名な「相対性理論」にではなく、「今まで波だと思われていた光を粒子だと考えれば、ある現象は簡単に説明できる」と明らかにした功績に対して与えられているのだ。

このように、「原子などの非常に小さな領域」に対しては、「波でもあり粒子でもあるという状態が現れる」というのが「量子力学」の特徴であり、未だにこの「波と粒子の二重性」がどんな状態なのかイメージできる科学者はいない。

量子力学というのはとにかく不思議な主張が山ほど存在するジャンルで、先述したボーアは、

もし量子論について考えているときに目がくらむことがないのなら、本当に理解できてはいないのだ

という有名な言葉を残しているほどだ。

アインシュタインが指摘した問題点

アインシュタインは死ぬまで量子力学に反対し続けたことで知られている。アインシュタインの言葉として非常に有名な「神はサイコロを振らない」も、ざっくり言えば「俺は量子力学なんか認めない」という主張である。

では、アインシュタインがどういう批判を展開したのかを見ていこう。

量子力学には、「シュレディンガー方程式」と呼ばれる方程式がある。これは、現実をよく記述したし、科学者は皆これを正しいと考えている。しかし一方で、この「シュレディンガー方程式」を解いた答えである「波動関数」が何なのかについてはしばらく分からないままだった。「波動関数が、現実の何と対応しているのか分からない」という意味だ。

やがて「確率解釈」と呼ばれる考え方が出てくる。これは、「波動関数(の2乗)は、粒子がどの場所に存在するかの確率を示している」というものだ。

これがどれほどおかしな話なのか説明していこう。 

例えば、「Aさんは12時に駅にいた」という文章は普通だろう。「ある人物(物体)」が「ある時刻」に「ある場所」に存在している、という主張は普通に可能だ。そして、だとするなら、「粒子」にも同じことが言えるはずだ。「ある時刻に粒子はある場所に存在していた」と観測できるというわけだ。当たり前だろう。

また、これまでの科学では、様々な方程式によって、物体がどのように運動するか計算できた。これはつまり、初期状態や速度などの情報が分かれば、方程式を解くことで「ある時刻における物体の位置」などが予測できる、ということだ。

しかし量子力学の場合は違う。方程式を解いても、「ある時刻においてある場所に粒子が存在する確率」しか分からない、というのだ。観測すれば「ここにある」のに、量子力学の方程式を解いても「ここにあるかもしれない」としか教えてくれない、ということなのである。

それはなんかおかしいんじゃないの? と感じるだろう。その疑問は真っ当だと言える。まさにアインシュタインも「そんなのおかしいだろ」と批判したのだ。「神はサイコロを振らない」という言葉は、「確率しか分からないような科学としては不完全であり、我々が正しく理解すれば確率ではなく正確なことが分かるはずだ」という主張を端的に言い表したものなのである。

しかし、当時の科学者は、アインシュタインのこの指摘をまともに受け取らなかった。そこにはいくつか理由がある。

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