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【勇敢】日本を救った吉田昌郎と、福島第一原発事故に死を賭して立ち向かった者たちの極限を知る:『死の淵を見た男』(門田隆将)

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東日本大震災の時のこと

東日本大震災で抱いた衝撃は、今後も忘れることはないだろう。その時代その時代で社会を震撼させる出来事は様々に起こるが、個人的な思い入れが関わってくることもあって、東日本大震災は特別なものに感じられる。

私は別に、東北在住でも出身でもない。東日本大震災の時には、神奈川県にいた。関東でも確かに混乱はあったが、私が住んでいた周辺は直接的な被害は特になかったと思う。テレビでは東北の状況が日々報じられていた。あの、何もかもが終わりを告げるような「終末感」は、今思い出しても凄まじいと思う。

その後縁あって、しばらく東北に住む機会があった。当初は、震災の一年後に行く予定だったのだが、結果的にそうはならず、時期は少し後にずれた。私が行った時には、外から見える部分は穏やかな日常に見えた。そもそも私が引っ越したところは、東北全体の中では被害の少なかった地域だ。

東北に引っ越してから、震災に関係する行動を何かしたとか、震災に絡む何かが起こったとか、そんな話はない。震災とは関係のない仕事をして、普通に暮らした。しかしそれでも、あの甚大な被害を経験した東北に、震災後一時期とはいえ暮らしていた経験は、自分の中に何か大きなものを残したように思う。

まだ神奈川県にいた頃、震災後の福島の農家に泊まるバスツアー、みたいなものに数回参加したことがある。なんというのか当時、変な言い方だが、「興味」と「罪悪感」みたいなものをずっと感じていたように思う。あの時どうだったのか、今どうなのか知りたいという「興味」。そして、自分が何もしていない、できていないという「罪悪感」。そういう感情が入り交じり、何をしていいのか分からない中、たまたま目に留まったバスツアーに参加したのだろう。

「興味」と「罪悪感」は、関東に戻ってきた今も、自分の内側のどこかにある。これからも東日本大震災は、私の人生の基盤や行動の指針みたいなものに、直接・間接に作用していくだろうな、と感じている。

壮絶な極限状況を描き出す作品

この作品については、本当に「頼むから読んでくれ」という気持ちがとても強い。ニュースなどではほとんど報じられなかったと記憶しているが、事故直後、日本はまさに壊滅寸前だったということが、本書を読むとよく分かる。

つまりこの本で描かれるのは、「最悪」から日本を救った男たちの勇姿なのだ。

福島第一原発に最終的に残った者たちは、死を覚悟した。実際に、陣頭指揮を取った吉田昌郎は、事故の二年後に亡くなっている。事故との因果関係は不明(というか、因果関係は低い)とされているようだが、感情的にはそう捉えられないと思う。

もしも福島第一原発事故を抑え込めなかったら、チェルノブイリ事故10回分の被害だっただろうとされている。もしそうなったら、原発を中心に半径250キロ圏内の人間は全員退避。東京もすっぽりと収まる規模だ。日本は壊滅していたことだろう。

最終的に、二号機の問題が重大だった。事故後の格納庫の圧力は、設計限界の二倍を超えていた。正直、いつ爆発してもおかしくない状態だ。しかし奇跡的に、二号機の圧力は”なんらかの理由”で下がったのだ。今でも、この理由は分かっていないという。

まさに、危機一髪だったと言っていい。

というように、驚くべき事実に溢れている。しかし、この記事を読んでくれている方はこの本を読んでくれるはずと期待して、本書の具体的な内容には極力触れないことにしようと思う。やはり、自分で読んで、その凄まじさを間接的にでも体感してほしい。

知らなければ、「どこかの誰かが頑張ってなんとかしてくれたんだ」で終わってしまう。もちろん、その理解に留まっていることが悪いわけではない。世の中のすべての事象について、誰がどんな貢献を果たしたのか知ることは不可能だ。

また本書の著者はあとがきで、こんな驚きを吐露している。

その時のことを聞こうと取材で彼らに接触した時、私が最も驚いたのは、彼らがその行為を「当然のこと」と捉え、今もって敢えて話すほどでもないことだと思っていたことだ。

当時、自らの命を賭して事故に向き合った人たち自身も、「別に多くの人に知ってもらうような話じゃない」と考えている、らしい。

私は、それでいいとは思わない。彼らは、日本を救った英雄だ。私個人としては、彼らの活躍を「英雄譚」として多くの人に知ってほしいという気持ちは当然ある。しかしそれだけではない。

未曾有の事態が起こった時、極限の状況に置かれた時、仲間に「死んでくれ」と言わなければならない時、人は何を思い、どう決断し、いかに行動するのか。そういう現実を知っておくことは、

これから自分がどう生きるか

に、大きく関わってくると感じる。そのきっかけとしても、本書を読んでみてほしいのだ。

「一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた」

吉田昌郎は、福島第一原発事故当時の所長である。本書では彼についてかなり多く言及がなされるが、その中に大熊町の元町長のこんな言葉もある。

あの原発に吉田さんという所長がいたでしょう。東電の人が、あの人が所長でなかったら、社員は動かなかったべっていうのを私はこの耳で聞きました。

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