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【感動】結城浩「数学ガール」とサイモン・シンから「フェルマーの最終定理」とそのドラマを学ぶ
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「フェルマーの最終定理」をきちんと知りたい方に勧めるオススメの2冊を紹介
サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』と、結城浩の『数学ガール フェルマーの最終定理』
この記事では、見出しに挙げた2書目を紹介する。「フェルマーの最終定理」そのものにももちろん触れるが、正直、壮大なドラマと重厚な知識の詰まったこの「証明物語」は、簡単には説明できない。是非とも、本を読んでその面白さと衝撃を体感してほしいと思う。
2書目の違いについて書いておこう。どちらも「フェルマーの最終定理」をかなり真正面から扱っている作品だが、ちょっと性質が違う。サイモン・シンの方は、どちらかと言えば「人間ドラマ」に比重が置かれている。一方「数学ガール」では、数学的な記述が重視されている。
どちらも、一般向けの数学書であり、文系の人でも手を出せる作品だ(「数学ガール」の方は、後半に行けば行くほど難易度は挙がるが)。「フェルマーの最終定理」とはどんな問題であり、どのような歴史を有し、証明に至る過程でどのような数学的知見が駆使されたのかなどについて詳しく知りたいという方は、是非この2冊を読んでみてほしい。
特に、「数学に興味はあるけれど、全然知識はないし、本1冊読み切れるか自信がない」という方には、サイモン・シンを勧める。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』は、「数学が苦手だという”だけ”の理由で読まないとしたらあまりにももったいない」と感じるほど、読みやすく噛み砕いてくれる。
人間ドラマが多めの作品ではあるのだが、決して数学的な記述も逃げていない。「逃げていない」というのは、「どうせわからないだろうから」というような書き方をしない、ということだ。
例えば「フェルマーの最終定理」には、「モジュラー形式」という単語が登場する。私も、これがなんなのか上手く説明できないほど、きちんと数学を学んでいる人でなければ触れる機会がない単語だ。
そして、このような高度は単語が出てくる書籍は大体、数学者が書くことが多いだろうし、そうなると記述が難しくなる。表現は悪いが、書き手が「どうせほとんどの読者には『モジュラー形式』なんて伝わらないだろうなぁ」と考えているような”気がして”しまう記述に出会うこともある。
ただサイモン・シンは、そのような難しい単語や概念の説明からも逃げない。もちろん、その説明が上手くいっているかどうかは読む人次第だと思うが(私は、上手くいっていると思っている)、少なくとも「どうせ伝わらないだろ」という印象にはならない。難しいなりに、ごく一般の人にも伝わるような書き方で説明してくれる。
恐らくそれは、サイモン・シンが数学者ではないからこそだろう。元々はイギリスのBBCで働いており、番組で「フェルマーの最終定理」を取り上げたことで本書を執筆することになった人物だ。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』は、一般向けの数学・科学書の中でも群を抜いた評価がなされているほど評判だ。
騙されたと思って、是非手にとってみてほしい。
「フェルマーの最終定理」とは何か?
この記事では、ざっくりと「フェルマーの最終定理」がどんな問題であるのかに触れていこうと思う。
まず、名前の不思議さの話から始めよう。
「フェルマーの最終定理」は、1995年にアンドリュー・ワイルズによって証明されたが、1600年代にフェルマーという数学者(というか本業は裁判官だったらしいが)が遺して以来、永らく未解決問題だった。
数学において「定理」という言葉は、「証明された」という意味を持つ。しかし「フェルマーの最終定理」は、1995年に証明される以前から「定理」と呼ばれていた。しかも「最終」という単語までついている。「最終」という単語が付く定理・予想は、解決済みであろうが未解決のままだろうが、数学においては「フェルマーの最終定理」ぐらいではないだろうか。
では、なぜそのような呼ばれ方をしているのか。
この説明のためにはまず、フェルマーという人物について触れなければならない。彼は仕事のかたわら趣味で数学の研究を行っていた。そして、当時の一流数学者たちに、「俺はこんな問題を証明したぜ。お前にできるか?」みたいな挑発する手紙を送っていた、らしい(なかなか性格の悪いやつである)。
フェルマーはそんな調子の人物だったから、「どのように証明したのか」を書き残さなかったものも多い。フェルマーの死後、息子が父親の研究などを整理した結果、「父親は証明したって言っているが、その証明が存在しない48個の問題」が明らかになり、これを公表した。
数学者たちは、この48個の問題に取り組んだ。1つ証明するのに数年掛かるような難問もあったそうだが、とにかく数学者の奮闘により、48個の内47個までは「フェルマーが言っている通りすべて正しい」ということが明らかになったのだ。
最後に残ったのが、いわゆる「フェルマーの最終定理」である。「最終」の意味は、「48個の内、最後に残ったもの」という意味なのだ。
そして先述の通り、フェルマーが遺した予想は、48個の内47個すべてが正しかった。だったら恐らく、最後に残ったこの1つも正しいだろう。そういう認識から、証明される以前の段階で「定理」と呼ばれるようになったのだ。
フェルマーの48個の問題は、古代ギリシアの数学者ディオファントスの著作『算術』の余白に書き込まれていたという。『算術』を読みながら、思いついたことをメモしていたのだろう。そして後に「フェルマーの最終定理」と呼ばれることになる余白の書き込みには、有名なこんな言葉が書かれている。
私はこの定理の真に驚くべき証明を持っているが、余白が少なすぎてここには書けない
さて、実際に「フェルマーの最終定理」は正しかったのだが、現在では、フェルマー自身は証明できていなかっただろう、と考えられている。何故なら、ワイルズが成した証明には、フェルマーの時代には存在しなかった数学の知見も含まれているからだ。「恐らく証明できたと勘違いしたのだろう」というのが通説のようである。
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