【継続】「言語化できない」を乗り越えろ。「読者としての文章術」で、自分の思考をクリアにする:『読みたいことを書けばいい』(田中泰延)
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なんのために文章を書くのか
読者としての文章術
本書で著者が主張することは、ほぼこの一点に集約されると言っていいでしょう。
それが「読者としての文章術」です。
つまり、「文章は、自分のために書けよ」ということです。
もちろん世の中には、論文や報告書など、「自分以外のために書く文章」も存在します。しかし、本書では、そういう文章のことは念頭に置かれていません。自分以外のための文章をどう書くかという本は世の中にたくさんあるので、是非そちらを読んでください、ということでしょう。
本書で著者が書くのは、ブログやSNSなど、「そもそも書くことを求められているわけではない文章」についてです。そして、そういう文章なら、「自分のために書けよ」と主張します。
評価のために書くな
ブログでもSNSでも、それが個人のものであれば、基本的にそこに書く文章というのは「書きたいから書いている」はずです。本来的にはそうなるでしょう。
しかし一方で、多くの人が、「評価」のために文章を書いてしまっていると思います。「いいね」やリツイートの数で「自分は評価されている」と感じたいために文章を書いている、みたいな人もたくさんいるでしょう。
しかし著者は、
と書いています。「読んでもらおう」と思って書くことで「読んでもらえない」文章になってしまう、というのです。
確かにその感覚は分かるような気がします。もちろん、緻密に設計された文章も面白いですが、それはほとんどプロの技です。我々のような素人にはなかなか真似できないでしょう。そういうプロやセミプロみたいな人を除けば、面白いと感じる文章というのは、「これ、誰かに読まれるなんてこと想定して書いてるんだろうか?」と感じてしまうようなものだったりします。
さらに、
とも書いています。確かにこれもその通りだなと実感します。
私は、本を読んで感想を書くことを、もう15年以上ひたすら続けています。本1冊読む度に、3,000字~5,000字の文章を書くわけです。それは、映画を観るようになってからも同じで、映画館にメモ帳を持ち込んで、毎回長々と感想を書いています。
自分がやってきたことを振り返った時、これが「誰かから頼まれた仕事」だったとしたら絶対続いてないよな、と思います。私はとにかく、自分が書きたいと思うことをただひたすら好きなように書き続けてきました。そこに「評価」という視点が入ると、途端にやる気がなくなってしまうだろうと思います。
「書き続けること」の方が圧倒的に大事
恐らく私はこれまでに、かなり少なく見積もっても1,000万字ぐらい文章を書いています。ざっと新書100冊分ぐらいでしょうか。これだけ文章を書き続けることができたのは、「文章を書くこと」が「自分のため」だったからです。
もちろん、「運良く誰かに読んでもらえたらいい」と思ってはいました。でも、読んでもらうことを期待して文章を書くことはしていません。この「ルシルナ」というブログは、私が人生で初めて、ちゃんと他人に読んでもらうために立ち上げたものですが、それまでは、そんな意識をまったく持たずに文章を書いていました。
著者もこう書いています。
読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる
そんな風に、自分が「書きたい」と思うことだけをひたすら書いていたお陰で、文章を書くことに対する苦手意識はまったくなくなりました。私はもともと理系の人間なので、本の感想のブログを始めるまで、まともに文章を書いたこともありませんでした。しかしそんな人間でも、ひたすら続けていればそれなりに上達します。
まさに、「続けること」が大事だ、ということです。
さらに文章を書き続けて良かったことは、「考えたことを書く」というステップをすっ飛ばせるようになったことです。
どういうことでしょうか。
文章を書く場合、「どんな文章を書くか頭にざっと思い浮かべてから出力する」のが普通でしょう。しかし私は、毎日毎日大量の文章を書くために、そんなまどろっこしいことをしていられませんでした。
そこで、「どんな文章を書くか思い浮かんでいなくても、とりあえずキーボードを叩く。書きながら考える。で、文章が出てこなくなったら終了」というやり方を続けることにしました。こんなことをずっとやっていたお陰で、今では、5,000字程度の文章であれば、全体の構成などまったく考えずに、一気に書けます。
また、そんな文章の書き方をしていたからでしょう、文章をキーボードで打ち込みながら、「自分はこんなことを考えていたのか」と気づく瞬間さえあります。「指が思考してる」みたいなことが時々あって、自分の指が打ち込んでいる文章をモニターで見ながら、「ほぉ、こんな思考をしてたのか」と感じる、みたいなことがあります。これが、文章を書いてて一番面白い瞬間です。
もし、「誰かに読んでもらおう」とか「文章がうまくなりたい」などの目的を持っていたら、15年以上も文章を書き続けられなかったでしょう。目的が、「自分が書きたいと思うことを書く」しかなかったお陰で、ただひたすらに文章を書き続けることができ、そのお陰で、様々なおまけが付随した、という印象です。
評価のことを考えるのは、出力した後でいい
そんなわけで、「文章を書くこと」に対しては、これといった目的意識を持たないほうがいいでしょう。どんな文章であれ、それが何らかの「評価」を受ける可能性があるのは「出力した後」です。文章に限りませんが、出力しないことには何も始まりません。
だから、「出力するまでのこと」と「出力した後のこと」は切り離して考えましょう。「出力した後」は「評価」と無縁でいられないとしても、「出力するまで」は「評価」のことなど考えていてもまったく意味はない、ということです。
これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます
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