【歴史】映画『シン・ちむどんどん』は、普天間基地移設問題に絡む辺野古埋め立てを”陽気に”追及する(監督・出演:ダースレイダー、プチ鹿島 沖縄知事選出馬:玉城デニー、下地幹郎、佐喜真淳)
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映画『シン・ちむどんどん』は、ダースレイダーとプチ鹿島が沖縄知事選で大暴れする、実に面白いドキュメンタリー映画である
本作は、映画『劇場版 センキョナンデス』に続く第2弾だ。「ヒルカラナンデス」というYouTubeチャンネルを運営するダースレイダーとプチ鹿島の2人が選挙戦を面白おかしく取材し、選挙の魅力を分かりやすく届けようとするシリーズである。今回取り上げられるのは、沖縄知事選。2人は今回も、フェスを楽しむかのように選挙戦の取材に全力投球していく。
私は選挙に限らず、「政治」全般に対してどうしても強く関心を向けることが出来ない。平均的な人と比べれば恐らく関心の度合いは高いはずだが、「いち国民としてこれぐらいの関心を抱いておくべき」というラインにはまず達していないだろう。そしてだからこそ、本作のような作品に触れると自身の「無知」を認識させられるし、個人的にそれはとても良いことだと感じている。
さて、そのような観点から本作の良さを挙げるなら、監督であり出演者でもあるダースレイダーとプチ鹿島の2人が、随所で「自分たちも沖縄について全然知らなくて」と口にしてくれることだろう。もちろん彼らは、我々一般人と比べたら遥かに知識を持っていると思う。それでもやはり、彼らがそのようなスタンスで目の前の状況に接してくれることで、観る側もあまり構えすぎずに済む気がする。そういう意味でも良い作品と言えるだろう。
今回も前作同様、前半は2人が知事選の様子を追いかけていくという展開になる。街頭演説を見たり、応援演説を聞きに行ったりするというわけだ。ただその辺りの話は後で触れることにしよう。この記事ではまず、映画後半で取り上げられる「普天間基地の辺野古移設問題」について書いていくことにする。
普天間基地の辺野古への移設案は何故浮上したのか?
本作では選挙戦が映し出されるのは前半だけで、後半は、ダースレイダーとプチ鹿島の2人が、専門家から話を聞きながら「普天間基地の辺野古移設問題」について掘り下げるという内容になっていく。もちろんこれは、今も続く「沖縄が(もちろん正確には「日本が」ではあるが)抱える大きな問題」の1つなのだが、本作で取り上げられていたのは、これが知事選の争点の1つになっていたからである。
というわけで、作中で語られていた内容を踏まえた上で、私なりに「普天間基地の辺野古移設問題」についてまとめてみたいと思う。もし、以下の記述に何か誤りがあれば、私の知識不足・理解不足によるものだと考えてほしい。
もちろん私も、「普天間基地を辺野古に移設する」という話を耳にしたことぐらいはある。新聞は読まないが、テレビのニュース・報道番組はなるべく見るようにしているので、そこで語られる程度の話であれば理解しているつもりだ。しかしやはり、問題の経緯や本質などについては全然理解できていなかった。
沖縄には複数の米軍基地が今も存在しており、基地を巡る問題の歴史はとても長い。普天間基地に限らず様々な問題が残っているわけだが、辺野古が関係してくるのは1996年の「普天間基地の返還の合意」ががきっかけである。そしてその条件として、「普天間基地の辺野古移設」が決まったというわけだ。
ではそもそもの話、何故普天間基地の移設の話が出てきたのだろうか? その理由は、「普天間基地が『世界一危険な基地』だから」なのだそうだ。本作でも2人が訪れていたが、普天間基地に隣接する沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落した事件はまだまだ記憶に新しいだろう。住宅地が密集する地域に普天間基地が存在しているることもあり、以前から「事故が多発して危険だからどうにかしなければ」という問題意識があったそうだ。
また、そもそも普天間基地は日本の航空法に抵触しているのだという。だから普通であれば、その存在自体が許容されるはずがない。しかし日米地位協定により、普天間基地は「国内法の適用が免除される」と決められている。そのため、航空法に抵触した状態でも基地が存続出来ていたというわけだ。そのような事情もあって、辺野古移設の話がまとまったのである。
しかし、本作に登場する沖縄国際大学の教授は、「そもそも『普天間基地を移設する』という話自体が欺瞞である」と語っていた。というのも、「世界一危険な基地」は他にあるからだ。それは、こちらも沖縄にある嘉手納基地である。沖縄返還後の事故数で比較すると、普天間基地が18件なのに対し、嘉手納基地はなんと575件、実に30倍以上なのだ。基地の広さの違いもあるとはいえ、この差は相当なものと言えるだろう。
普天間基地返還の話が出る以前は、「嘉手納基地が危険だ」という話がよく取り沙汰されていたという。しかしアメリカは、嘉手納基地をは手放したくはなかった。そのため、「普天間基地が危険だ」という話にすり替え嘉手納基地から目を逸らしたのではないか、というのである。もしそうだとしたら、日本は「まったく本質的ではない問題」に振り回されているだけなのかもしれない。もちろん、普天間や辺野古に住む人には大問題なわけだが、より重要な問題が嘉手納基地にあるのであれば、やはり「目眩まし」みたいな印象になってしまうだろう。
さて本作では、辺野古移設についてまた違った観点からの指摘もなされていた。アメリカはなんと、1960年代に辺野古に基地を作る計画を立てていたというのである。しかし当時はベトナム戦争の真っ只中。アメリカには予算がなく、この話は立ち消えになってしまった。では、この話を踏まえた上で「普天間基地の辺野古移設」を改めて捉え直してみよう。「移設費用」は当然日本持ちなのだから、アメリカからすれば「当初望んでいた場所(辺野古)にタダで基地を手に入れられる」という状況であるとも言えるだろう。このような観点からも、「アメリカの都合が全面に押し出された計画」と言えるのではないかと思う。
辺野古の「軟弱地盤」に関する様々な憶測
ニュース番組などでもよく報じられていたが、辺野古での基地建設はなかなか思うようには進んでいない。映画撮影時点では建設はストップしており、再開の目処は立っていなかった。そしてその理由の1つに、埋め立て予定地が「軟弱地盤」だと判明したことが挙げられる。そしてこの点についても、興味深い指摘がなされていた。
先に紹介した教授によると、辺野古に基地を建設する計画を立てた1960年代の段階で、恐らくアメリカは軟弱地盤の存在を知っていたはずだという。というのも、当時の設計図によると、辺野古移設問題で発覚した軟弱地盤の部分だけ、基地建設計画から綺麗に除外されているからである。だとすると、偶然その場所を使わなかったみたいなことではなく、軟弱地盤の存在を知っていて避けたと考えるのが妥当だろう。
さてそうなると、作中で示唆されることではないのだが、「何故アメリカは、軟弱地盤の存在を日本に伝えなかったのだろうか?」という疑問が出てくるのも当然ではないかと思う。アメリカは普天間基地を辺野古に移設する計画を知っている。であれば、あらかじめ軟弱地盤の情報を伝えておくべきだろう。アメリカが辺野古移設を望んでいるとすれば、計画の支障となり得る軟弱地盤の存在は事前に共有しておく方が双方にとって都合が良いはずだ。
しかし結局アメリカは日本にその事実を伝えなかった。その理由については、色んな可能性が検討出来るだろう。例えば、1960年当時の建設計画について詳しく知る人物が政権内にいなかっただけなのかもしれない。しかし、強かなアメリカがそんな不手際をするものだろうかとも思う。となればやはり、「敢えて伝えなかった」と考えてみたくもなるだろう。
では、その動機は一体何だろうか。アメリカの視点に立って考えてみよう。普天間基地の辺野古移設は日本が行うものであり、その過程で生じたことはすべて日本の責任となるはずだ。当然、「軟弱地盤が見つかって基地建設が出来ない」となれば、それも「日本の不手際」ということになる。そしてその場合アメリカは、「日本が基地移設を遂行できなかったのだから、我々はこのまま普天間基地を使い続けるしかない」という理屈を押し通そうするのではないだろうか。このように考えることで、「辺野古の軟弱地盤について伝えなかったのは、普天間基地をそのまま使用し続けるため」とも解釈できるのである。
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