「僕には聞こえたよ」
私だけじゃなく
日本人には わりと居ると思うんだけど
話す時、私の声が小さくて
相手が聞きづらかったり、
聞こえなかったりする ってことが、
昔からあった。
電話でだけじゃなく、目の前で話していても。
イタリア人は お腹から声を出しているみたいで
声が〈大きい〉というよりも、
声がよく〈響く〉。
私にとって普通の声量で話していると、よく
「Come ?!」(なんだって?)
と 大きな声で聞き返されて、
あーごめんなさーい💦( i _ i )
という気持ちになることがあった。
最初はね。
だから イタリアに住んでいた間は、
いつも意識的に腹筋を使って
声を大きく、はっきりと話すことを心がけてた。
郷に入っては、ということで。
さて
まだそんな〈日本的声量〉で話すクセの抜けない時期に、
当時通っていた美術学校近くのBarで
(スペイン語発音?の「バル」が日本では幅を利かせていますが
イタリア語発音だと「バール」になります)
Macchiatoと
(正確にはCaffe Macchiato = エスプレッソ+ミルク少し)
Dolcini (注釈多くてゴメンね★ Dolcettiと呼ぶ時もあるよ)
でおやつをしていたら、
学校の先生たちが4~5人 賑やかに入ってきて
カフェを注文し、飲み始めた。
その中で一人だけ知っている先生がいて、
先生は 奥の方にいる私に気付いて
「Ciao」と挨拶してくれた。
私も「Ciao」と同じように笑顔で返して、
あとはそれぞれの空間に戻った。
5分もしないうちに
先生たちはカフェを飲み終え、
楽しそうなおしゃべりを続けながら
バールを出て行く。
Ciao! は英語での Hi ! と Bye ! を
兼ねる言葉なので、
私は知り合いの先生の背中に向かって
「チャオ、クララ!」(じゃあねクララ) と声をかけた。
(その先生自身や、お互いの関係性にも依りますが
イタリアでは、目上の人とでも友達みたいに話すことが多い)
でもクララ先生には聞こえなかったみたい。
おしゃべりの最中だったし、
そのまま振り返ることなく、皆と一緒に店を出ていった。
お店には 元の静けさが戻った。
宙ぶらりんになってしまった自分の声の余韻が
ほんの少し
私に 居心地の悪さを感じさせた。
そのとき
カウンターのなかでずっと忙しく手を動かしながら
先生たちが出ていくのを目で追っていた
バリスタのお兄さんが
グラスを拭きながら
くるっと私のほうへ向き直り、
にっこりと 優しく微笑むと
「僕にはちゃんと聞こえたよ」
と言ってくれた。
瞬間、私も思わず破顔していた。
空気がふわりと 暖かいものに変わった。
淋しい空間に
ぽつん
と置いていかれなくて、嬉しかった。
ちょっと照れくさくて
「Meno male (あぁよかった)… 」と言ったら、
お兄さんも 楽しそうに笑った。
こんなふうに イタリアでは
知らない人でも最初から、
私を人間扱いしてくれた。
そこにちゃんと
意思や感情を持って存在している
一人の人間として、気にかけてくれた。
はじめ せいぜい1年のつもりで来たイタリアに
長いこと居ついてしまったのは、
この理由が とても大きい。