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楠木正行公ゆかりの地を訪ねて(今村翔吾さん作「人よ、花よ、」読んで感動しました)


商店街の外れに緑

大阪府の東の方に四條畷(しじょうなわて)というところがあります。
先月、用事で行って、商店街の外れに見える緑が気になりました。
あとから立ち寄ってみると、なんと。

小楠公墓所らしい

そこは楠木正行(kusunoki masatsura)公の墓所と言われているようです。
南北朝時代、南朝方を支えた人。
楠木正成(masashige)公の嫡子と言った方がはやいかも。

ちょうど朝日新聞の連載小説「人よ、花よ、」(今村翔吾さん作)で
主人公として取り上げられていましたね。
新聞奨学生だったせいか、どうも人様に配達してもらう気になれず、
時折、新聞を買っては読んでいました。
好きな小説です。
まさか正行公の墓所を訪れるとは。

にしても、高師直(koh no moronao)公、どんだけ強いねん。
北畠顕家公も正行公もこの人に討たれたと言う。
(顕家公が討たれたあたりで建物の設計をしたことがあります)

敷地から外を見る

お参りして帰ろうとしたら向こうに山。
(写真見にくくておそれいります)
飯盛山です。
戦国時代、三好長慶公の山城があったことで
近年たいへん注目されています。
歴史資源の宝庫ですね、このあたり。

それから間もなくして、今度は島本町へ。
大阪府北東部のはしっこです。

史跡桜井驛跡

ここに桜井駅跡があり、公園になっています。
奈良時代頃の宿駅跡のようです。
まさしくこのあたりが、楠木正成公と正行公が別れた、
「桜井の別れ」の舞台だと言います。
足利勢との圧倒的不利な決戦に向かう正成公は、
この地でご子息の正行公を戦列から去らせて、
後のことを託します。
「太平記」の名場面になっていますね。
京を進発して湊川に向かう途上、都からはまださほど離れていない、
この地で父子の別れを済ませた。

託された正行公が長じて南朝方の主力となり、
ご活躍の末に先の四條畷あたりにお眠りになった。
偶然にも相次いで関連する場所を訪問することとなり、
とても感慨深いものがあります。

公園内に楠木父子の像があります。

楠木父子の像

正成公「おっ、洒落た烏帽子やないか」
正行公「今、都で流行ってるんです」
ポロッポ♪(by 頭上の鳩)
正成公「おぉ、声まで出るんか、ええやんか」
正行公「えへへへ」
鳩もさぞかしご機嫌だったことでしょう。

ちょっと長くなりました。ここまでありがとうございました。
今日は雨で少し寒いですね。
みなさんも風邪など気をつけてください。

それでは、また

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