曼珠沙華
いつもの散歩道に、突如赤い曼珠沙華が出現していた。
曼珠沙華(彼岸花)は、本当にお彼岸の頃に咲くのだな、と景色の変わった様子を楽しんだ。
曼珠沙華は、サンスクリット語で
『天界に咲く花』の意味を持つという。
おめでたいことが起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ているそうだ。
サンスクリット語でmanjusaka。
日本の彼岸花の、少し怖いようなイメージとは違う。
日本では、天蓋花、狐の松明、狐のかんざし、剃刀花など、たくさんの呼び名があるようだ。
しかし、少し前に来たときには何もなかったはず・・・。
その秘密は・・・。
曼珠沙華は、秋雨が降ってやがてお彼岸という頃になると芽を出し、1日に10センチ近くも茎が伸びて、瞬く間に50センチくらいになり、あの真っ赤な花を咲かせるからだそうだ。
そのときには、茎だけで葉はない。
そして、1週間ほどで花も茎も枯れ、今度は球根から緑の葉っぱがすくすく伸びてくるという。
冬に葉を茂らせ、周りの植物が枯れても、たわわに茂った葉っぱのままで冬を越すということは、普通の草花とはサイクルが逆なのだ。
私は、曼珠沙華を見ると、絵本「花さき山」を思い出す。
滝平二郎の切り絵の花は、曼珠沙華ではなく、
「優しい心が咲かせる花」。
山菜を取りにいき山で道に迷ってしまった“あや”
迷い込んだ山の奥には見事な花畑が。見とれるあやの前にやまんばが現われる。
やまんばはこの世の何でも知っている。
あやの足元に咲く赤い花はあや自身が咲かせた花だという。
妹思いのあやは「祭の晴れ着は自分はいらないから妹のそよに作ってやってくれ」
と貧しい家を気遣って親に申し出た。その優しい気持ちが赤い花となった。
花畑の花一つ一つは自分のことよりも他人のことを考える思いやりの心から作られている。
優しい心が咲かせた花が咲き誇る“花さき山”の感動のお話。
「この花は ふもとの 村の にんげんが、
やさしいことを ひとつすると ひとつ さく」
優しさというより辛抱・・・。
それでも、自分の見えないところで、自身の優しさで咲く花があるとするなら、
救われる気がする。
陰ながら人を思いやっている人たちに伝えたい。
私が、彼岸花ではなく、曼珠沙華と呼びたいのは、毒々しいともとれる花だけれども、そこに私の知らない世界の幻を見るからかもしれない。
英訳の本も出るようです。
いいなと思ったら応援しよう!
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。