見出し画像

しなないで しなないでおねがい

 先週の夜のこと。
 ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」を一気に読んだ。

 静かに進みながらも、衝撃を受け続けて止めることができなかった。

  しなないで しなないでおねがい

  その言葉がお守りとなり、彼女の体に宿り、
  そのおかげで私ではなく彼女がここへやってくることを、考える。
  自分の生にも死にもよく似ているこの都市へ。

すべての、白いものたちの



 白。
 本に使われている紙自体、何種類かの白に文字が印刷されている。
 白。
 白のニュアンスで印象が全く変わる。
 油彩のチタニウムホワイトや、パーマネントホワイト。
 青味、紫がかかった白。
 黄身の強い温かい白。
 蛍光灯の白。
 白熱電球の白。

 韓国語で「ハヤン」は清潔な白、「ヒン」は生と死の寂しさをこもごもたたえた色だと書いてある。
 作家の白は「ヒン」。

 とても映像的で、端から霧がかかったようなイメージ。

 おくるみ、うぶぎ、しお、ゆき、こおり、つき、こめ、なみ、はくもくれん、しろいとり、しろくわらう、はくし、しろいいぬ、はくはつ、寿衣・・・


 これを書く時間の中で、何かを変えることができそうだと思った。傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと。
(中略)
 スティールの弦を指で弾いたら、甲高い音が響くー悲しい音色が、また不思議な音色が。それと同じように、これらの言葉たちで私の心臓をこすったら、何らかの文章が流れ出てくるだろう。
 けれども、その文章の中へガーゼをかぶって隠れてしまっていいものなのか。

すべての、白いものたちの


 実は、同じ作家の「少年が来る」を読む勇気が私にはまだなく、この本を選んだのだった。
 作家の死生観が知りたかった。
 死の近くにいて、息をしているような印象を受けていた。

 美しく静謐な文章で、自分の家族のことについて書いている。

 縫ったばかりの産着。
 タルトックのように色白の女の子。
 しなないで  しなないでおねがい、という言葉。

 白い木綿のチマとチョゴリから、青い煙が立ち上る様子。

 言葉のどれもこれもが、息をするようにそっと置かれているようだ。

 本の帯には、こう書かれていた。


 詩のように淡く美しく、それていて強く心をゆさぶる名作です。

岸本 佐和子

 「魂」というポーランドの話に、やはり蝶が出てくる。

 魂があるとしたら、目に見えないその動き方はきっとあの蝶に似ているだろうと彼女は思ってきた。

すべての、白いものたちの

 ちょうど昨日、伯父の納骨があった。
 白い骨壷が、御影石のお墓に納められた。
 人間は、死ぬとこんなに小さくなってしまう。
 文章にあった幾重にも白い絹に包まれた赤ちゃんを想像する。

 実は、心配していた。
 遺影になる写真はあるのだろうか。
 伯父は、写真に写ろうとしない人であった。
 それは、幼い頃からそうであり、一切写真に写っていない。
 または、家族写真にある自分の顔を、なぜかマジックで塗りつぶしていた。
 存在自体を、この世に残すことを嫌ったのか・・・。
 生涯一人で暮らしていた、物静かで優しい伯父であった。

 いつも、思っていた。
 伯父の前世は何だったのだろうか・・・と。
 自分の姿を記録に残さずに生き抜いた。
 今の時代、あまり聞いことがない。

 クラシック音楽が好きで、最期は耳にイヤホンを入れてもらい、チャイコフスキーを聴きながら亡くなったそうだ。

 たった一枚だけ、若い頃の写真を額に入れていたという。
 登山の格好でサングラスをしている。
 それが遺影となった。

 お線香の煙が白く流れていた。
 青い空に、真っ直ぐな白い雲がたなびいていた。

 伯父が趣味で撮っていた植物写真の数々を見せてもらった。
 そこには、一枚だけ白い枠のついた古い写真があった。
 赤い曼珠沙華に、黒い揚羽蝶がとまっている写真だった。
 黒い蝶を神社で見たら、それは神様が歓迎してくださっている印だと聞いたことがある。
 知ってか、知らずか。
 伯父は、その写真を大事にしていたようだ。


 以前、以下の二冊について、記事を書いたが、リンクを貼ることができない。
 どちらも、死と蝶について書かれている。
 魂と蝶。

 蝶の動きは、魂の動きに似ているのだろうか。


 すべての、白いものたちの…
 訳された日本語も美しいのだと思う。



いいなと思ったら応援しよう!

LUNA.N.
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。

この記事が参加している募集