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『坂の上の雲』の再放送

 坂の上の雲。
 見ていたのが15年前だったとは、忘れていた。
 とても印象的で、引き込まれるように見ていたことを思い出した。
 再放送になると聞いて待っていた。

 秋山真之が生まれたところから青春時代までが、以前にも増して眩しかったのは、私があの頃より幾分か歳をとったからかもしれない。

彼らは明治という時代人の体質で,前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に,もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば,それのみを見つめて,坂を上っていくであろう

坂の上の雲・司馬遼太郎

 秋山好古・真之兄弟と正岡子規が生きた明治時代。
 未来の自分を模索しながら、強く自分を信じて進んでいく少年期から青年期の様が、海の水面に映る太陽の光のように眩しい。

 さて、15年前の私は、5歳と3歳の子を育てていた。
 それなのに、子どもだった息子と『坂の上の雲』を一緒に見た気になっていた。
 不思議だが、映像が暫く経っても頭の中にあったので、
 「ねえ。坂の上の雲が再放送になるよ!」
 と話しかけた時、
 「今度は見るよ。何度も話に出てくるけど、まだ幼稚園だったから見ていないんだよ。」
 と言われて、驚いた。
 偶然にも、息子がご縁をいただいた学校は、前身が共立学校であった。
 秋山真之に関わる何かが、古い校舎の中にあるらしい、と聞いてくらくらした。
 その学校で野球を6年間やっていたので、正岡子規のベースボールを「野球」と訳すところで胸が熱くなる。
 毎年、俳句甲子園のために友人が松山市を訪れていた。
 だからか・・・。
 だから、あの学校に行きたかったんだね!
 と思い込んでいたら、「坂の上の雲」は読んでもいないし、見てもいないというのだ。
 人間の思い込みというものは恐ろしい・・・と思いながらも、色々な偶然に面白さを感じた。

 偶然だったとしても、自分の身の回りに重ねて歴史小説を読んだり、映像を見たりすると、興味深い発見がある。


 私の祖父の家は、愛媛の西条にあった。
 武士の家だったので曽祖母の遺品には、秋山真之の母が持っていたのと同じような短刀があった。
 いざという時に自刃するための女性用の短刀を、真之の前に母が出すシーンがある。
 真之の母・貞役の竹下景子が、控えめだが芯の強い女性を好演している。

 曽祖母も、とても骨のある女性だったと聞いている。
 私の憧れである。
 曽祖母の写真を、私は大事にしている。
 祖父が長いこと捨てられずにいた曽祖母の形見の着物や茶道具、掛け軸などは、武家のものらしく、とても渋好みで気品を感じさせるものである。
 一人娘であったため、裁判官をしていた曽祖父を婿に取ったのだそうだ。
 そして、生まれたのが祖父である。

 祖父が東京に来る時に、曽祖母も一緒に来て荻窪の家に住んでいた。
 浅草生まれで江戸っ子の嫁である祖母とは、全く相入れなかったとのこと。
 祖父は、自分の母親とは正反対の人を選んだことになる。

 明治九年生まれの曽祖母が、松山とは離れてはいるけれど、同じ愛媛にいたことは、この小説を身近に感じさせてくれる。
 愛媛の臨済宗妙心寺派のお寺に、今でも曽祖母は眠っており、お墓参りに行った時の瀬戸内海の風景が、今も思い浮かぶ。
 私の大好きだった伯父が若くして他界したのも、曽祖母のお墓参りに行った愛媛でのことだった。
 野球を愛していた伯父だった。

 そして、もう一つ。
 かつて、偶然にも私が住んでいた場所は、秋山好古がいた騎兵旅団司令部があった場所の近くだった。
 秋山好古の鞍の展示があると聞いたけれど、結局見に行けぬまま引っ越してしまった。
 私は、その場所に怖さを感じていたと思う。

 戦争は憎むべきものである。
 明治という時代に、戦地で生と死を見ることになった兄弟と正岡子規の人生が重なって、後半は見るのが苦しい。
 祖父によれば、曽祖父の弟は、二百三高地で亡くなったのだそうだ。
 乃木大将から名前が書かれた掛け軸が送られてきたと見せてくれたが、本人が書いたのかどうか、という意味では、本物だか偽物だかわからないとのことだった。
 信じられないほど多くの命が失われているのに、その分の掛け軸をひとりで書けるわけないと、子どもの私ですら思った。
 本物であろうが、偽物であろうが、ただ、戦死されました、ということに過ぎない。
 人の命は、そんなに軽くないはずだ。

 今も、普通に暮らしていた人たちが戦場で戦っている。
 戦うのをやめてほしい、と皆が思っても巻き込まれて行く過程を、私たちは現実に見ている。
 武器に使うためにAIの進化を推進させているわけではないだろう。
 人は戦うために生まれて来るわけではない。
 守るために戦わねばならないという悲しみにも苦しみにも、辛すぎて目を背ける自分に苛立ちを感じる。
 自分ごととして考える想像力を怖いと感じてしまう。
 しかし、相手の身になって考えてみるという教育の大切さを思う。

 この小説が全て史実に基づいたものかどうかはわからないけれど、小説として映像として、あの眩しい若い時代の三人を再び見ることができた。
 戦争が始まる前、秋山真之のような目の輝きで、好奇心で、日本が進もうとしていたのだということが感じられる。
 戦場で生死を間近に見てきた秋山好古は、晩年、故郷で教鞭を取ったそうだ。


 そんなわけで、随分長いこと『坂の上の雲』の映像が頭にあり、息子と共有していたと思い込んでいたが、単なる勘違いであった。
 それに気づくヒントはいくらでもあったと思うのに、15年も。
 不思議なことだ。






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LUNA.N.
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。

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