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自分の問題の答えは『外』ではなく『中』にある

節分、立春をすぎた。
今日は、春一番が吹いたという。
さて、頭の中も整理して、先に進むのには良い時期のような気がしている。
なるべく身辺もシンプルにしたいと思っている。

余計なモノへの執着を取り除くことで、大事なことに集中できたら何よりだ。
シンプルとは、徐々に会得していく『審美眼』であるという。

『シンプル』について、オノ・ヨーコの言葉がある。

シンプルとは決して生易しいことではない。それはまるで月の光が日本の寺のある一点を、徐々に光の力を弱めながら照らすようなもの。私たちはひとつの円形に想いを集中させ、それが私たちの意識の中のシャープな一点にまで小さくなっていくまで集中し続ける、そういうようなものだ。           オノ・ヨーコ

これを読んだ時、そのイメージが「禅」のようだと思った。
清められた禅寺を思い浮かべた。


「モノを周囲に溜め込むことは、自分の生き方を直視する不安を隠蔽するものだ」と読んだことがある。

本当は、自分の問題の答えは外にではなく、自分の中にある。

瞑想や座禅。
内観することの大切さ。
いざという時のために、モノや感情を貯めるのではなく整理して、両掌を開いて、手放すと、見えてくるものがあるという。
私も、毎日瞑想を欠かさない。

地の時代から風の時代へ、と言われるけれど、本当に風のように身軽になることは大切かもしれない。
コロナ禍で、誰もが事態を予測できず、人生と向き合った方は多いと思う。
身の回りをよりシンプルにして、本当に大切なものは何かを知る機会でもある。


仕事で絵を通して話を聞くと、
これは執着かな・・・という人間関係の悩みであることも多い。
執着していると感じたら、この言葉を思い出す。

乞わねばならない所に愛を探さないで。
乞わなくても与えられるところに見出しましょう。

そして、自らも執着について顧みる。
何か思い当たることがあったら、心の中に蓮の花をイメージしてみることがある。

「清らかな心」「神聖」を意味する蓮の花。
泥の中に咲く。
気高く精神性が高いイメージがある。

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以前、蓮の花で有名な、上越の高田公園を訪れた。
季節が少し遅かったことと、朝ではなかったことで蓮の花は少し。

その後で、上杉謙信の春日山神社へ行った。
神聖な感じがした。
そういえば、越後の龍といわれた上杉謙信は、幼少期に禅寺で教えを受けたのだったと思い出した。

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