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もやもやしてる私と春の木漏れ日
※ 去年に執筆した記事です汗
今週末、また寒くなるみたいだけど、今年はじめての春らしい日。暖冬ということで冬でも暖かい日は増えたけど、やっぱりぽかぽか感が違う。
今日は2月なのに最高気温が22度とのことで、地球の未来が心配になるけれど、とても過ごしやすい気温なことも確か。
花粉症のわたしは今年初むずむずを感じ、これから奴らがやって来ると思うと恐怖だけど。
この世からなくなってほしいものベスト3→ 花粉、女の子の日、Gという名の虫。。
冬生まれのわたしは冬が好きだけど、やっぱり心も身体も殻に篭りがちになることは確か。なんとなく背筋が縮こまるし、なんとなく外に出たり人と会うのが億劫になる。
冬の魅力ももちろんあるけど、それに比べて春はキラキラしている。植物も動物も喜んでいるように見える。小鳥がさえずり、木漏れ日が煌めく。心が穏やかになり、生きててよかったなんて思えたり。
わたしはというと、年明けに仲の良い友人に前触れなく縁を切られたり、家族と月一くらいで大喧嘩してアザを作ったりしていてなんとも生きていくことに対して気が滅入っている。
はじめましての人とランチしたり、家族と喧嘩しながらも一緒に出かけたりして、それなりに楽しくやってはいるけど。
自ら命を絶ってしまう人が少なくないこの国で、自分も他人事には思えない。生きていくのも大変だけど死んでいくのも大変で。
そんな時、人間として生きることに疲れた時、わたしはいつだって小鳥や花に憧れる。優しくて、可愛らしくて、平和的。生まれ変われるなら花がいい、鳥がいい、と常々思っている。
馬鹿げたことで衝突して体力と時間を無駄にしたり、本音と建前社会でゲーム感覚で脆い人間関係を築く人生に何の意味も見出せないから。
ならばいっそ、野原で横たわって、誰にも干渉されず、ただただ日向ぼっこしてたいなあ〜なんて現実逃避したり。
わたしは精神的に滅入った時、よく花畑で大の字に寝て、目を瞑って存分に太陽の光を浴びている自分を想像する。実際、ニュージーランドに留学してた頃は割とこれに近い生活だったかも。
基本的に人口が少ないから、どこに行ってもあまり人がいなくて、貸切状態。公園のベンチで小鳥と一緒に本を読んだり、誰の所有地かよくわからない原っぱで勉強したりしていた。
今よりもずっとずっと、「生きているなあ」と感じる頻度も、他人への信頼度も高かった。
心から信頼できる人がいない人生って、かなりしんどいもの。
ここにないなら、どこか旅に出て、探しに行こうかな、なんて思い切ってしまいそうな春のはじまり。
眩しいわけではないけど明るい、優しい光に照らされて、きっと色で例えるとグレーみたいなわたしの煮え切らない心が対照的だと思った。
こんなもやついている自分が、春らしい服を着て、春らしい空間にいることが、なんだかチグハグで、いっそ浄化してほしい。
そんな今日この頃。
おかえり、春。