自分を受信機だと思って扱う
食べるものや着るもの、見るものや聴くものは、
意外と私達の体や心に影響を与えていると思う。
暖かいエネルギーで作られたものは、
体や心にも良い影響をもたらすだろうし、
殺伐としたエネルギーを纏っているものは、
その逆だろう。
私達は、日々色んなものを受信している。
自分に負担のかかる物ばかりを取り入れいていると、大切な受信機が壊れてしまったり、
性能が落ちたり、してしまうと思う。
自分の心も体も大切な受信機だから、
大事にしてゆきたいと思う。
今、土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」
という本を読んでいるのだけれど、
その中の一文に
という一文がある。
土井さんはもちろん食事についての話の中で
このようなことを言っているのだけれど、
食事を手作りして食べることと同じように、
湯船にゆっくり浸かって疲れをとるとか、
床に雑巾をかけるとか、
部屋にあるいらない物を整理するといった、
そういう普段の生活を営む上での
手や体を使った作業の大切さ、
人が生きる基本みたいなものの大切さを
言っているのではないかと思った。
毎日の中で生きるための作業を
行うことが大切なのだ。
省略してしまわないこと。
今は便利な世の中になったので、
省略できる手作業が沢山ある。
それが悪いことだとは全然思わないけれど、
たまにでも自分の手を使って行うと、
満たされ方、心地よさが違うことに気づく。
私は実家に住んでいるので、
ものすごく母に助けられているので、
全く偉そうなことは言えないけれど、
完璧にはできなくても自分なりに丁寧に毎日を
生きてみる。
それは、自分を大切にすることなのかもしれない。
土井さんが、食事で、自然のもの、
白色ご飯とお味噌汁を推しているように、
自然のものには、人工で作られたものにはない
エネルギーが込められていると思う。
私達も自然の一部とするならば、
自然のものからパワーを得られるのは当然だろう。
食べるものだけでなく、着るものや、
自分の身を置く環境も、本当は自然のものを取り入れた方が、良いのかしれない。
私は自然からできたもの、
コットンや麻や、木でできたものが好きだ。
そして話が逸れるかもしれないが、
私はゆっくり考えることも好きだ。
ゆっくり考える時間を自分に与えてあげることも
自分を大切にしてあげているような気がする。
無理をする必要はないけれど、
自分なりに、丁寧な暮らしをして、
自分を大切にしたいなあと思う今日この頃である。