半自動筆記に依る夜想曲(14)-2 『痴愚』-2
生命の刻の半分以上を自由に遣って良いと云うのなら、私は何時迄も果つる事無く、絶えざる夜の夢の衷に在りたいと願うだろう。少なくとも、私は本気で迷う事無く然う願うだろう。
当然世間様は其の様な不謹慎且つ不健全で在り、非生産的で不毛で有る事この上無い此の思考或いは嗜好乃至志向の持ち主に対して、微かなりとも理解を示す事も無く、往古の刻より最悪の愚か者の称号を与えて事足れりとしている。
聖書は云って居る。『土は土くれに、灰は灰に、塵は塵に』と。
この、是認も不可能で有れば反証も亦然り、で有る事実に対し、私は最早何一つとして為す術は無かった。私は自らに焦燥しつつも、漫然と、しかし蝸牛の歩むに似た速さで森を騎乗した。
否、其れは寧ろ停まって居た。己も我知らず、其の真紅い愛馬は既に息絶えて久しかった。
否、どちらにしても其の馬に生命の息吹等有ろう筈も無い。
何しろ、私の跨って居る愛馬と云うのは、只紅く塗られただけの三角の木馬か、然うで無ければ積み上げられた何処かの馬の骨か、何方が何れにせよ明確でも無く、何でも如何でも良い代物に過ぎないのだ。其れは、乗り手で在る騎上の私にとても良く似て居た。
泥の上に更に糞を上塗りするが如く、此の私の著しく毀たれた名誉を受け、蒼暗い森の動物達は面罵と嘲笑の大合唱を始めた。
食べ物の如何、身體の大小、脚の多寡を問わず、一つ残らず全ての生物は私を嘲り、罵り続けた。己一人曝し者にされて居る恥辱の行進を曳き廻されて居る私自身が『良くもまあ飽きもしないものだ!』と半ば呆れ気味に感心して居ると、森の終わる処で、満月に照らされて、一羽の孔雀が翼を拡げて居た。
其れは明らかに、此処迄見て来た卑しい獣達とは違う神々しさを身に纏って居た。孔雀は見る間に金色の月光を七色に反射させ乍ら、持物で有る懐竪の音色を響かせつつ艶然と柔らかな微笑を浮かべる詩歌美神に姿を変えた。
私は打って変わって、美にのみ支配された空間に心奪われて居た。恍けて見惚れて居ると、美神は私との間合いを瞬時に詰め、理由も不明な儘、私の脳天目掛けて持物の懐竪を全力で振り下ろした。