クソババア、○ねと言われた朝
こんにちは、ねねです。
今日は朝から気が滅入っています。
幸せになるために始めたNoteですから、気持ちが上がるような投稿がしたいのですが、無理して上げる必要はないのでしょうね。
こうやって、様々な想いを綴るだけでも、小さなことも大きな幸せと感じられるようになるのだろう、と、今この数行で思いました。
なぜ気が滅入っているのかと言うと、
次女がここ数日「学校まで車で送ってほしい」と言うので、
甘えたいのだな、と思い、期末テストだったり、生理だったり、梅雨で雨が続いているのもあり、ここ2週間ほどで何度か送ってあげていました。
しかし、今日は雨も上がっているし、そろそろ甘やかしているのも良くないな、と思い、「今日が最後だから!」という常套手段を用いてくる次女に対して、「今日は送らないよ」と突っぱねました。
そして、「送って」「送らない」の問答を数回くりかえしました。
すると、娘は烈火のごとく怒り、「○ね」という捨て台詞を残して走って登校していきました。
これが理由です。
「またやってしまった」
彼女は、生まれた瞬間から私にぎゅっとしがみつき、
幼少期は寝るときにも私の上に乗ったり、べったりふっついてくる甘え上手な子どもでした。
それに対し、長女は生まれた瞬間からドライなところがあり、
抱っこをしても腕に絡まってくることがあまりなく、赤ちゃんて無条件に母親にべったりくっついてくるものでは?と思っていたので、少し寂しい想いをしたのをおぼえています。
そうは言うものの、
私は子育てを通して、「自分は人に甘えられないし、人を甘えさせてあげられない」のだと知りました。
子どもがとても小さい頃はまだ大丈夫だったのですが、
ハグをしたり、抱っこをしたり、肌を触れ合うのが次第に嫌になってきました。肌を触れ合うという行為においては、夜の生活もそうです。世の中でいうセックスレスなどの定義をはるかに超えて、かなりの期間遠ざけてきました。性欲がないわけではありません。
これまで自分なりに学び、なぜ自分はこうなのか考えたとき、
私自身幼少期に親との肌の触れ合いが少なかったのだと思います。
さすがに乳飲み子の時はあったかもしれないけれども、
物心ついてから親とハグしたとか、手をつないだ、という記憶は全くありません。
自分の親との関係については、また後程まとめたいと思っていますが、
今一番苦しいのは、「子どもに甘えさせてあげられないこと」
私自身がそうだったように、私の子どもたちも十分甘えられずにここまで育ってきた、ということだと思います。
私は、毒親に育てられた、自身も毒親だと思っています。
(アダルトチルドレンとか、インナーチャイルド、といったことも関係していると思います。こちらにもまた後ほど触れたいと思います)
子どもたちはもうティーンエイジャー。
長女は昨年不登校になりました。
次女は今でもスキンシップを求め、甘えてきます。
甘えて来なくなったら最後だな、とわかっているのに、
ぐいぐい来られると、バリアが発動し、突っぱねてしまう。
私 「何でいやだって言ってるのに、やってくんの?
ママ、最初っからこんな言い方してないでしょ?
ママ、こういうのあまり好きじゃないから、
やめてね、ってお願いしてるでしょ?なんでわかってくれないの?」
私 「もういい加減にして、あっち行って」
娘 「ひどい!親なのに!子どもにそんなことするの!」
もう何年もこんなやりとり。
それでも、懲りずに、さっきまで「クソババア」だの「○ね」だの言ってたのに、べたべたやってくる。
まるで、むしろ娘が私に愛を与えたいがために。
本当は、本当は、とても大切な存在なのに。
無条件にただその存在を慈しみたいのに。
今日こそは、今日こそは、と思っても、
いざ娘に来られると、拒絶してしまう。
娘は何にも悪くない。ただただ愛し、愛されたいだけ。
「クソババア」と言われたら子育ては成功、なんていう人もいるけど、
気もちは良くないよね。
そして、さすがに、「○ね」とか言うのは良くない。
娘も私と同じで、上手く話せないから、怒りを表現するために
とりあえずその辺にあった手軽な「○ね」を使っただけなのはわかる。
決して本気で人にそんなことを言うような子ではない。
とても心優しい娘なのだ。
そんな子どもにそんなワードを言わせてしまう自分が許せない。
今日もここまでお付き合いいただきありがとうございます。
今日はこれから仕事です。
みなさま、良い一日を。