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兵庫県南西部の山奥にある棚田のミステリーに迫る

今回は歴史探偵の雲です。

趣味で兵庫県でハンティングをやってます。
今年も予定どおり、11月15日から狩猟解禁となりました。
初猟日に休暇をとって行きました。
土曜日はyoutubeロケで10キロ歩き。
日曜日は、日の出から日の入りまでハンティングです。
だるい、しんどい、はよ帰りたいと言わずに頑張りました。

今回は、ハンティング記事ではなく歴史ミステリーの話です。

兵庫県の南東部(神戸を中心とした瀬戸内海周辺)は基本的に狩猟禁止区域(まあ都市部で銃を撃ってよい場所はありません)なのでハンティングは北部か、南西部になります。
都市部でなくても、文化財のある山とか登山ルートなど人が通る場所は狩猟禁止区域です。
大昔から現在に至るまで、人々が往来しない場所が猟場です。

南西部の猟場に何回も行ってるのですが、ちょっと不思議な光景を目にします。
ハンティングで、「姫路市北部」「たつの市」「相生市」「赤穂郡」に何回も訪れています。

集落を抜けると田んぼの先は行き止まりです
車を止めて徒歩で山間部を5分ぐらい歩きます

この兵庫県南西部の多くに山の中腹の森の中に石垣の上にテニスコートよりちょっと狭いぐらいの平地が段になって配置されています。

そういう場所は、水はけが悪くてじゅくじゅくの泥だまりになってます。
猪が背中のダニをとったり、泥遊びをして使ってます。

山を登るのに、1メートル以上ぐらいの石垣を何回も乗り越える必要があり、銃を持って登るので片手で上がるので体力を消耗します。

道のない林を抜けると明らかに人が積んだ石垣があります

誰がなんのために、石垣を積んだのか気になります。

雲:「昔は、ここに集落があったのでしょうか?」

一緒に山に登っている時に、先輩猟師さん(地元出身)に聞きました。

いくつもある石垣を乗り越えるのしんどいです

猟師さん:「いや、こっちは棚田、あっちは段々畑」

雲:「日当たり悪い、長い間放置したら森に飲み込まれたのですか?」

猟師さん:「ちゃう。江戸時代に、年貢をちょろまかすための田んぼや
役人に見つからない場所に田んぼ作ってた。ぐはは!」

雲:「マジですか。今の時代でいう脱税ですね」

なんということでしょう。
ものすごいこと言ってます。
ご先祖様の完全犯罪を子孫が暴露してます。
今の時代でいう脱税です!
しかも、このような行為は一人ではできません。
組織犯罪と思われます。
去年だったか観た映画で、「シン仮面ライダー」に出てきた「悪の秘密結社ショッカー」のような組織かもしれません。
密造した米を売って世界征服か徳川幕府を滅ぼすことを企んでいた可能性がります。

この会話がハッタリなのか、真実なのか気になります。
数百年の時を超え、その証拠が私の目の前に広がります。
この棚田を考察してみます。

隠田(おんでん)

おん‐でん【▽隠田】
中世・近世に、隠れて耕作し、年貢や祖税を免れた田。かくしだ。忍び田

デジタル大辞泉

猟師さんの話からすると、発見した「棚田」は、隠田(おんでん)と呼ぶそうです。
私が発見した「隠田跡」は、「姫路市北部」「たつの市」「赤穂郡」。
江戸時代でいうと「姫路藩」「たつの藩」「赤穂藩」になります。

石垣の上は平地、その上に石垣と棚田になってます。

集落からは、完全に見えない位置です。
森の中で日当たりは悪いです。
山から水が流れて農業用用水路のなれの果てが、あります。
経験上、池に流れ込む水路をたどると隠田に辿り着きます。

来た道を振り返ると、木しか見えません。平地からは完全に死角です。

耕作の目的を考察します

・農作物を多く手に入れたい

年貢で沢山の米を持っていかれるので、不作の年に備えて備蓄米と考えるのが普通です。もしくは、年貢で50%近くもっていかれると、生活にするのために米が足りない。

・現金化して私腹を肥やしたい

隠田で年貢対象になりにくい作物を作るのであれば、密かに売却して収益を得やすい。
例えば薬草、茶、桑(養蚕用)、あるいは商品価値の高い特産品を育てて売却する。
証言からも、現地を見ても、これは水田です。
お茶や薬草ではなく、米を作ってます。
農家と言えば、今の時代の会社員と同じぐらいの人口比です。
米は自宅で作るもの、一般人は食料難の時しか需要なし。
秘密に大量に買い取ってくれる業者が必要です。
バレたら、村ごと幕府の敵になってしまいます。
やはり現金化は難しいと思います。

地政学と領主から見える隠田の必要性

・中世から江戸時代にかけて、隠田の存在する場所は山地や丘陵地が多い。しかも農地が少ない場所(兵庫県南西部は山間地が多く、隠田に適した土地で豊富)
・兵庫県の年貢は、収穫量の40~50%。当時の農家にとってこの負担は非常に大きくい
・豊臣秀吉の時代から始まった検地(田畑の測量と収穫高の把握)が行われるたびに、領主は正確な年貢徴収されていた。
・姫路藩の領主は「池田氏」→「本多氏」→「松平氏」などコロコロ変わって、住民は大名を信頼していないので、嫌々年貢を納めていた可能性高い
・「たつの藩」「赤穂藩」は譜代大名が同じ地をずっと納めてますので、幕府の要求する年貢をそのまま納めるプライドもあり、住民へそのまま年貢を要求していたと思われます。

猟師さん曰く、大昔は棚田だった
左下は泥だまりで猪の遊び場です

動機としては以下の2点

・手取りの50%が税金としてもっていかれるようなもので高すぎて不作の年が怖い
・今でいう市長がコロコロ変わって信頼できない、もしくは中央政府に媚びを売ってる人が市長なので気に入らない

今の時代、サラリーマンの所得税はだいたいの人で20%から30%ぐらいです。
非常に高いと思いますね。

本当にわかりにくい場所にあります。

状況証拠

・険しい山間で、入れるルート上は村の中を越えて、限られた林道に入らないと行けない場所にある(意図的に隠している)
・日当たりが悪いので、最適な米作りの場所ではない(意図的に隠している)
・水はけがわるい地面で、水田に適している土地が今も残っている
・子孫が自供している

関東人は物品購入に対して、高額を払ったと財力を自慢する傾向にありますが、関西人はいくら安く買ったかという能力を自慢する傾向にあります。(諸説あり)
年貢をちょろまかして、バレずに自分の代まで繋がったという証言は、代々親が子に自慢して語り継いできたという関西人の特徴かと思われます。

隠田は当時重罪だったそうです

結論

・年貢をちょろまかすための隠田だった 
・年貢の負担を軽減するためにしかたなく耕作を行った
・村単位でリスクをとっていた
 悪の秘密結社ショッカーのようにクーデター資金などの目的でなく、
備蓄が目的

時の権力者に逆らった行為ではありますが、命懸けで行っていたのは間違いないです。命のリスクを負ってまで、隠田で耕作していたのは家族を飢えから命を守るのが目的だったと思います。
先日の女にモテたいために偽札づくりをした勘三郎伝説とは違うと思います!
今回は、大昔の兵庫県民の気質が少し好きになっ考察結果になりました。

兵庫県南西部は歴史のエピソードが多いです
・赤穂市は、主君の無念を晴らすために討ち入り
・姫路市は、羽柴秀吉が本能寺の変の仇討ちで、軍資金を全て兵士に振舞った場所
・たつの市は、おじいさんとお父さんが、オオサンショウウオを獲って食べた場所

時を越えて、この歴史の重要な場所に、私が兵庫県内を遠征して猪と戦っているのは歴史の偶然を感じます。

最後まで読んで頂きありがとうございました。





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