間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」を読んで
先日インスタでフォローさせて頂いている某有名な本紹介者の方が「ものすごい作品だったので、ちゃんと伝えたいけどうまく伝えられない」的な言葉と共に本の第一ページ目をインスタストーリーにて上げていたのを目にし、なんか「ピン」とくるものがあって、即座に調べ、発売されたばかり、しかもデビュー作という事でまだレビューも少ないのにも関わらず「絶対読んだほうがいい」と感じ、翌日購入し、その日に読破してしまった作品がある。
それがこの度ハヤカワSFコンテストの特別賞を受賞したらしい、
間宮改衣氏の「ここはすべての夜明けまえ」だ。
なんだろう、あらすじと、タイトル、帯の文、皆様の感想、そして中の文章の一部がそのまま丸々使われている斬新な装丁、いろんな要素が合わさって、手にとった瞬間にもうちょっと涙ぐんでいた笑。
そして読了した結果、「これは読むべきだったな」と感じた私の直感は見事に的中していた。
レビューにて「これはSFであってSFではない」「まるで純文学」「芥川賞作品のよう」と書いてる人もいたけど、本当にそう思う。SFの要素ももちろんありつつ、SFの皮を被った純文学だなあという印象。芥川賞候補になっても違和感は全くないと個人的には思う。
「二一二三年十月一日ここは九州地方の山おくもうだれもいないばしょ、いまからわたしがはなすのは、わたしのかぞくのはなしです」から始まる本書は名前も語られない「わたし」、死にたかったはずの「わたし」が、「ゆう合手じゅつ」を受けて中身を人工化して若い見た目のまま通常の何倍も長生きする事になり、昔父親に「かぞくが死んでいくそのつどにかぞく史をかいていくとひまつぶしになる」と助言され、彼女の家族と彼女自身の記憶について書き残して行く、という話。漢字をかくのが大変だからできるだけひらがなで書きたいという、彼女の手記という形でずっと話が続いていく。
その人生、兄弟との確執、父親にされ続けていた事、甥であるシンちゃんの人生を奪ってしまった事、などが本当に「淡々と」綴られていく。わたしたちが知っている90年代から、融合手術を受け、自分は25歳の見た目のまま時間が進み、家族がみんな死んでいき一人になって、わたしたちの知らない未来の世界へと続いていくその様は確かにSFではあるんだけど、でもそこで語られる彼女の後悔はとても普遍的でどれだけ人類が発達しようと絶対に変わり得ないものがあるんだと感じさせられた。
話の途中、とある事情により漢字を交えた一般的な書き方になるんだけど、最終章でこれまたとある事情にてひらがなだらけに戻る、もうそれだけで涙が溢れた。最後のたたみかけ部分は、もう涙が止まらなかった。
童話チックな感じで書かれているのかと思いきや現代の章ではわりとリアリティのある出来事やボカロ、将棋の話なんかも交えて書かれているのでちょっとハッとする。とにかくうまくレビューできないけれど、この読みやすいとは言い難い手法で最後まで書き切り、かつこの胸がえぐられるような、でも希望に満ちあふれているような独特の読後感。これがデビュー作なのかあ、、とため息が出てしまう。次回作に期待!