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20代前半社会人男性がマルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでみた件。

 どーも!今日は11時ギリギリにコメダ珈琲に駆け込んでモーニングセットを頼ませていただいた旅人とらっしゅです。皆さんはコメダ珈琲を利用されたことはありますでしょうか?私はこれまでスタバに行く機会が多かったのですが、最近近くにコメダが出来でからコメダを頻繁に利用するようになりました。
 
 コメダのいいところはですね、ざっとあげると三点あります。

  1. モーニングを頼むとハーフのトーストが無料でついてくる!

  2. フードの種類が豊富かつおいしい!

  3. 椅子も座りやすく、落ち着いた雰囲気!

と、こんな感じです。
コメダについて語るとそれだけで1回分の記事になりそうなので、今回はこの辺で留めておきたいと思います。

 さて、本題に移ります。今日は、「20代前半社会人男性がマルクス・アウレリウスの『自省録』を読んでみた件。」というタイトルでお届けします。

 まずは、マルクスと『自省録』について少しだけ説明しますね。マルクスは、本名をマルクス・アウレリウス・アントニヌスという、第16代ローマ皇帝です。いつくらいの人なのかというと、121年〜180年なので約2000年前に生きた人です。彼は、当時のローマ帝国を平和に統治した五賢帝の一人と知られる傍ら、ストア哲学という哲学の一派に傾倒した哲人君主としても知られています。そして、『自省録』とは彼が断続的に内省して綴った文章をまとめたものです。そのため、皆さんが想像するようなところの本ではなく、自分の考えを記したたくさんのメモがまとめられているようなイメージです。
#ストア派って「ストイック」の語源になってるんだよ

 おそらくほとんどの方は『自省録』について聞くのは初めてではないかと思います。では、なんでそんな本を読もうと思ったのか。きっかけは、大学時代に尊敬していた先輩に薦められたことです。薦めていただいたのはもう2〜3年前のことです。つまり、この本は2〜3年間も僕の積読本たちの一角を担っていたことになります。
#読んだ本の数<積読本の数
#まぁ人生そんなもん

 で、じゃあなんで今になって引っ張り出してきたんですか?ってなりますよね。
#なって
 それは、「古典に挑戦しよう!」と思ったからです。これもまたの機会に書こうと思いますが、ビジネス書に飽きてきてしまったんですよね。「んー、次は何を読もうかな?そうだ、古典を読もう!」ということで手に取ったのがこの本でした。
#JR東海

 早速ですが、もう読んだ感想を発表してしまいたいと思います。
#早速すぎる
「んー、むずい!半分くらい何言ってるかわからん!」
はい、これが感想です。
私の学が無いのも原因ではありますが、それにしても普通の人が読むには難しいと思います。その理由は大まかに分けると以下の通り。

  1. 前提となる知識が必要。

  2. 脚注が多い。

  3. 言葉遣いも言い回しも難しい。

 それぞれについてもう少し詳しく。
まず、「前提となる知識が必要。」という点について。本書はいわばマルクスの手記なので、マルクスないし当時の人々にとっての「あたりまえ」が前提になっています。ストア哲学の考え方も然り、他の皇帝の治世での出来事や生活然り。「〇〇の時代もそうであったではないか。」みたいに言われても、いや、〇〇の時代なんて知らねーよ!って思いますよね。そんな感じです。
#これはあくまで例えだけど、こんな感じ

 次に、「脚注が多い。」という点。一つ目に重なるところもあるのですが、訳者の神谷恵美子さんがご親切に沢山の注をつけてくださっています。ただ、この数が多すぎる。なので、いちいち注のページを探して開いてまた戻って、という作業はとても大変です。
#途中で諦めた

 最後に「言葉遣いも言い回しも難しい。」という点。イメージできるかと思いますが、高校の倫理の授業では意味のわからない哲学の概念をたくさん覚えさせられましたよね。ご多分に漏れず、あーゆーのが出てきます。
#指導理性とかいて「ト・ヘーゲモニコン」と読む
#これは出てきすぎて覚える
これに加えて、言い回しの難しさ。何重否定だよ、みたいな文がザラにあります。難しい単語で意味がわからないのに、さらに否定形の転用を重ねて文の意味もわからなくなるダブルパンチです。
#普通に書いてくれい

 とはいえ、理解できたこともあります。思いつく限り並べてみたいと思います。

  1. 世の中は宇宙を支配する自然に従って動いており、身の回りで起こることは起こるべくして起こっている。

  2. 故に、何かをネガティブに捉えるのは自分の主観が原因で、主観を一切なくして、自然が起こしたことだから仕方がないと受け入れる。

  3. 他人に害を与えられても、その人を責めてはいけない。正しい方向に導いてあげるか、それができないなら耐え忍ぶのみ。

  4. 自分が生きている現在にのみ集中するべき。

  5. 人間の真髄は、宇宙の理性の一部である指導理性にあり、人間とはそれに肉の塊を纏っているだけのものである。

  6. 死も宇宙の自然によって訪れるものであるので、恐れる必要はない。

  7. 人々が追い求める富や名声や称号はすぐに忘れ去られるものであって、それらに固執せず自然のあるがままを受け入れて生きることがあるべき生き方である。

  8. 一人の人が生きている時間や踏んでいる土地は全体から見ればわずかなものであり、それ相応に生きるべき。

と、これくらいでしょうか。マルクスの思想が言語化されたものがまとめられているので、上記の八つのように何度も出てくる考えは自然と頭に残りました。

 これらだけからもわかると思いますが、一貫してなんというか感情が死んでしまっているような、よくいえば自分に厳しく(まさしくストイック)、悪くいえば冷たすぎるような思想という印象を受けました。
 訳者の神谷さんも解説で論じられていましたが、嫌なことや辛いことを乗り越えるための指針にはなると思います。しかし、何か新しい情熱やエネルギーを湧き上がらせてくれるような力は一切無いように感じました。

 だいぶ大雑把ですが、以上が私が『自省録』を読んで得たことです。正直、このnoteを読んでくださっている皆さんに『自省録』を読むことを積極的にお薦めすることはありません。「もちろん読まない方がいい」というわけではなく、「無理して読む必要はないと思うよ」ということです。なぜなら、マルクスの思想を取り入れて生きれば、何か人生がつまらないものになってしまうような気がするからです。ポジティブな気持ちになる要素があまりない。人生の上振れも下振れも削いでしまって、無に近くなってしまう感じです。マルクスからすれば、それこそあるべき生き方なのだろうけど。
#言語化が難しいこの感じ
#伝われ
とはいえ、下振れを削ぐというか、嫌なことの乗り越え方であったり、怒りの鎮め方などは新しい考え方も得ることができました。自分の考え方を深めることができたという意味では、古典を読んだ意義があったしいい時間になったと思います。時間にも余裕があってチャレンジしてみたい!という方にはお薦めです!
#なんと言ってもこれだけ読み継がれてきたんだから良書であることは確か

 なんて感じでまとまりのない記事になってしまいましたが、少しでも皆さんのお役に立てていれば幸いです!これからも古典には挑戦していこうと思っているので、随時記事をアップしていきたいと思います。

 それでは、アディオース!


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