モーツァルトは平均律を嫌った、という玉木宏樹氏の記述について(情報元について情報求む!!!)
前の記事でさんざん言ってきたように、数々の証拠からモーツァルトの時代のドイツ・オーストリアではすでに平均律が主流になっていたとも考えられ、
参考:
ネット上で散見される”モーツァルトは平均律を嫌っていた”との記述の情報元が不明でした。海外のまとめ論文などではそもそもこのエピソードが一切出てこないこと、未だに徹底的な証拠がなくモーツァルトの音律について議論が進んでいるところをみるに怪しい話と思っていましたが、これについてついに音律の研究をされていた玉木宏樹氏の言及を発見したので報告します。
どれでも良いのですが、最後のリンクから
そもそもモーツァルトはミーン・トーンで作曲しているんですから。自分の曲を『平均律』で演奏する奴がいたら殺してやる、と言っているんです(笑)。
ということで、どうも玉木宏樹氏の記述が元となっているようです。
あとはこれが事実かどうかというところなのですが、正直、何とも言えないです。普通に考えればここまで断言されていれば事実なのですが、未だに海外含めこの話に対する信頼の行く情報源が提示されていないことから、ちょっと、半信半疑です。
また玉木宏樹氏の発信している情報が全体的に古めで、かつ根拠が不明なのも気になります。例えば上の最後のリンクからですが
初期のベートーヴェンもミーン・トーンだった。だから、初期のベートーヴェンはモーツァルトに似ているところがあるでしょう。ところが、ピアノ・ソナタの『悲愴』あたりから、ベートーヴェンの作風は明らかに違うんですね。これは何が原因か。ベートーヴェンは、ミーン・トーンから『キルンベルガー音律』に切り替えたんですよ。そこで作風の劇的な変化が起きた。キルンベルガー音律は一応すべての調に転調できる。転調しても音程はけっこう安定している。
この記述はどうもあいまいで、ベートーヴェンの作風が変わったところから音律の変化を主張しているのか、それとも何かベートーヴェン本人の記述に基づいて論じているのか不明です。ベートーヴェンが特定の音律について何かの記述をしていたという話は私は聞いていません(情報求む)。少なくともベートーヴェンの弟子のチェルニーは平均律を記述していて、私の知る限りミーントーンの記述はしていません。
参考:
また
ここからですが、
バッハもモーツァルトもベートーベンも、そして、19世紀のロマン派前 期の作曲家たちは、いずれも平均律では作曲していない。
これは明らかな誤りです。これは古い研究結果を参照しての記述と思われます。
参考:
また、
ここからのツイートを見ると"バッハは平均律を使ってはいません。" 、”1850年頃までは、プロの演奏家、作曲家は平均律に見向きもしませんでしたが、一回の調律で済むため、ブルジョアの家庭にピアノがもの凄く普及し、プロもいやいや平均律になったのです。悪貨は良貨を駆逐した訳。”、など、根拠が不明な記述があります。上の私の記事『書籍『ゼロ・ビートの再発見』の問題点』で根拠を示していますが、バッハが平均律を使用していたかどうかはわからず、1850年頃まで平均律がプロに使用されなかったというのは完全に誤りです。反例は山ほどありますが、例えば上で述べたように、1839年ベートーヴェンの弟子チェルニーは平均律を記述しています。このように、少なくともミスリーディングな情報が多いです。
そのこととは関係ないと言えばそうかもしれませんが、今のところは、100%信じてはいません。伝言ゲームを繰り返すうちに話が変わってきていると思われるパターン(ex. バッハはピタゴラス三度を嫌っていた、ベートーヴェン、ショパンはキルンベルガーを愛用した、ドビュッシーまで誰も平均律を使わなかった)を多く見ているだけに、警戒しています。情報元さえわかれば解決する話で、本人に聞ければよかったのですが、残念ながら玉木宏樹氏は2012年に亡くなられています。情報元についてご存じの方はコメントに書いていただけるとみんな幸せになれるかと思います。