没男の小説考⑦命名と誰が語るか
風邪をひきました。没男です。
✴︎素敵な名前を
小説を読んでて思うんですが、登場人物ってだいたい名前がありますよね。
小説書いてる人は、どうしてその登場人物に、
そんなキラキラネーム名前をつけちゃったんですか?!
姓名判断ですか?
我が子同然に名付ける方もいるでしょう。
名前自体が伏線もアリでしょう。
なんとなく思いついただけ、というパターンもきっとあるでしょう。
没男はだいたいKとかYとか、イニシャルトークしがちです。
傍にあった本の著者名を拝借したこともあります。
なぜこんな雑なことをするのか。
自作の人物は没男にとって記号にすぎないからです。なんらかの思いを込める余地がないのです。
そう、記号は解読するものです。
記号が記号を呼びその差異が反復される。私の思考が記号Sを想起し記号Tに移った瞬間記号SはS自体ではなく差異としてのSでしかなく同様に記号Tにおいても
‥‥
だいたい、なんでもかんでも込めちゃうと込めっぱなしになっちゃうし‥
没男がイニシャルトークを好むのは、恐らく登場人物を突き放して俯瞰できるからなのだと思います。
読書体験を振り返ると、私は登場人物にあまり感情移入したことがありません。興味があるのはシチュエーションです。状況=物語を稼働する装置です。
恐らく、書き手と書き手が生んだ登場人物との関係は、大雑把に下記な具合かと思います。
登場人物に?が?憑依するイタコタイプ
登場人物にどんどん選択肢を与えて話を進めるタイプ
もはや、考えない。流れに任せるタイプ
イタコタイプは割と散見されますね。マンガとかでも。超人だと思います。
話が逸れましたが、結局みなさんはどうやって登場人物にエッジの効いた名前をつけてらっしゃるのでしょう?
没男は気になります。
✴︎人称、どう語るのか
これは腐るほど言及されてますよね。
ただ、没男だけかもしれませんが気になることを‥。
◯一人称
僕、私、など語り手が登場人物である語りの一形態です。
僕ないし私は僕ないし私の見聞きしたことしか語り得ません。
なので、僕や私のバックグラウンドで何かが起きていたとしても、暴力団の抗争が繰り広げられていても、基本的に知り得ません。
そして、たまにしれっと嘘をつきます。都合よく錯覚に陥ります。視点、語りの現在など、罠を仕掛けてきます。
超気になるのは、
地の文は僕なのに会話になると俺に切り替わるケース!!
テクニカルな問題ですが、違和感を禁じ得ず誰の発話か混乱します。
かといって、
地の文を俺にしちゃうのは拙者、おいどんなみに違和感を覚える!!
僕、俺問題は難しいですね。幼稚園児ぐらいの少年がぶち当たる壁ですね。
◯三人称
ご存じの通り神の視点です。何もかもを知っています。
没男はこの語りが好きです。
しかし、たまに視点人物に寄りすぎて一人称語りと変わらなくなっちゃう!!
あれ?
そうすれば僕・俺問題解決じゃない?!大発見!!!
◯二人称
魔の語りですよね。
「あなたは」ですよ?
あなたは2週間ぶりにウンコをした。あなたは自分のお腹がしぼむのを感じた。
あなたは誰? 読者? あるいは過去未来の登場人物? すんごくテクニカルで、手を出す気になりません。
そもそも二人称語りの小説って読んだことあります?
没男は井戸川射子氏の芥川賞受賞作「この世の喜びよ」で初めて二人称語りを体験しましたが、ん?二人称なのか‥?それでいいのか?
一でも三でもなく二人称にする必然性が理解できませんでした。涙
しかし、受賞作である以上没男のような凡夫には読み得ない境地があるのでしょう。
しかし凡夫没男的には、
「新発売のチョコまんを買ってみたらゴマあんまんだった」みたいな感じでした!
登場人物の名前が決まらないと、書き始められないんですかね。どうでしょう?名無しの権兵衛で書き始める‥
個人的にはKが好きなのでKで始めます。男はね。カフカの「城」の主人公がKだからか‥
ただ、数多いるKの中で最強のKは夏目漱石「こころ」に出てくるKだと思います。
その理由は、このKが地の文のKではないから‥ほとんど直接話法、手紙だから。
さて‥実務上、名前はなるべくルビ不要で一発変換できるものだと嬉しいですね。
打ち込む人間の都合上ね‥‥