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サナトリウムは、エビデンスに基づいて設置された

結核で亡くなった石川啄木と、その家族の悲惨な話を書きました。

啄木以外にも多くの文化人が、結核で亡くなっています。
こんな感じです。

正岡子規
樋口一葉
滝廉太郎
森鴎外
竹久夢二

いやいや、たいへんな病気でした。

死因の第一位を占め、「国民病」と呼ばれたこともあります。

外国でも、「嵐が丘」のブロンテ、ピアニストのショパン、「変身」のカフカなど多くの文化人が亡くなっています。

一方、結核に憧れる人もいました。

詩人のバイロン卿は「私は肺病で死にたい」とまで言っています。

ヨーロッパの上流階級の婦人は、肺病風のたたずまいを装うために顔を白く塗りました。

画家は、結核患者をモデルに描いています。

画家ボッティチェッリの「ビーナスの誕生」の大きな貝がらに乗った女性は、結核患者の特徴があるとされています。

また、モディリアーニの描く女性の肖像画は首が長くて、これも結核患者だとされています。

竹久夢二の描く女性は皆、典型的な結核患者です。

懐かしのモデルの小林麻美さんのような感じです。

新撰組のイケメン剣士沖田総司は刀では死なず、喀血して結核で亡くなります。

もしかすると結核が人気の秘密かもしれません。

高鍋町立美術館の竹久夢二展のポスター

ドイツ人の医師ヘルマン・ブレーメルは、世界で初めてサナトリウム(療養所)を開設しました。

結核患者を解剖して調べてみると、肺の大きさに比べて心臓が小さいことに気がつきました。

高地では空気中の酸素濃度が低くなるので、心臓が大きくなり、結核患者の健康状態が改善するのではないかと仮説を立てます。

1862(文久2)年、標高600メートルの場所に、結核患者40床のサナトリウムを開設します。

10年間で患者が958人が過ごして、死亡率は4.8パーセント。

これは他の病院と比べて、信じられないほど低いものでした。

高地での新鮮な空気と栄養で患者の免疫力をあげるサナトリウムは、評判となりました。

1904(明治37)年には、300床の世界最大のサナトリウムに成長します。

この動きは、世界各国に伝わりました。

米国では1870(明治3)年に、アパラチア山地に開設されました。

日本では、高地ではなく海の近くに多くが開設されました。

我が国初のサナトリウムは、1889(明治22)年に、神戸の風光明媚な須磨に開設されています。

薬はありませんでしたが、新鮮な空気、日光浴、床上安静、健康によい食事の日課で、免疫力を向上させて、結核と対峙しました。

さだまさしさんの歌に「療養所(サナトリウム)」という歌があります。

1979(昭和54)年、27歳のときに出した「夢供養」というアルバムにあります。

当時高校生だった私は、これを聞いて「なんちゅう、古りー歌やっちゃろーか」と感じて、二度と聞くことはありませんでした。

40年ぶりに聞いてみたところ、なんと深い歌なのかといたく感動したところです。

さすがは吟遊詩人です。

高校生の私は、とんでもないアホでした。

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