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没男のショートコント11【五枚円のゴジラ】

 5歳の私のつるんとした脳みそに、資本主義も経済観念も貨幣価値も金銭感覚もあろうはずがなかった。それを、金がなくなった今、恥じる。

 「お父さん、ぼく、今度の誕生日、このゴジラがいいな」

 私はある小冊子を手に父に飛びついた。昨日父と映画館で観たばかりのゴジラVSメカゴジラのパンフレットだ。

 小さな手は、初代ゴジラのラジコンを指さしていた。この手のパンフレットは、映画を釣りに、グッズを買わせるという魂胆があるのだろう。それに自覚的か否か、が大人と子どもを分けるのかもしれない。

 父は目玉をむいて、
「これ、五万円だぞ‥。初代ゴジラか‥いや、お父さんも欲しいくらい‥いや‥ダメだ」

 私は泣いた。

 私は物心ついた頃から怪獣狂で、父とレンタルビデオ店に通っては、ゴジラシリーズを初代から平成と片っ端から借りて観た。ついでにガメラシリーズもあらかた観てしまった。

 特に好きなのが初代ゴジラだ。白黒なのがいい。理不尽さがいい。怖いからいい。ゴジラが子どもの味方を始めてから、子どもであるはずの私はゴジラを嫌いになっていった。

 ついでにガメラもだ。ちなみに平成に入ってからは、ガメラの方が面白いと思った。令和のゴジラは飽和した破壊に眩暈がしてしまって好かない。

 さて、父だ。

「初代とはいいセンスなんだけどね。高いんだよ。分かるか?五万円」

 父は片手を開いて見せた。

「分かるよ、五枚円でしょ? 知ってるよ! このゴジラ歩くんだよ!吠えるんだよ!リモコンで!」

 父もほとほと呆れ果て、私は怒鳴られた。

「誕生日は何にもなしだ!」

 買い物についていくと、たまに百円以内のお菓子や何かを買ってもらえた。ゴジラのソフビ人形は三百円だった。買えない。

 父は母が管理する買い物カゴに、ツマミのポテトチップスとソフビを忍ばせて、

 「たまにはな。心がけ一つだ」

と、ひっそり笑いかけてくれた。

 その、秘密を共有するワクワク感と棚ぼた的に欲しいモノが手に入る嬉しさで、思わずはしゃぎ出してしまったものだ。結局母にはバレるが、仕方がないから笑って流してくれた。

 私は「五枚円」がいくらなのか、どれだけの金があればあのゴジラが買えるのか、考えていた。三百円とは違うのか。三百の方が多いけど、五枚とは違いそうだ。

 あのおばさんの財布、お金の紙が八枚入ってたぞ。お母さんは?六枚見える。一、二、三、四、五枚‥買えるじゃないか。

 私はがっかりした。

 私は五枚円のゴジラをたまに夢見ては、やがて忘れた。しかし、十歳を過ぎた頃だろうか、アンティークを扱う玩具屋で、例のゴジラを発見した。

「お父さん、アレ!五万円のゴジラだよ!」
「うわぁ!すごいな、こんなところに!」

八万円だった。

「お父さんもね、ほんとはあれ、欲しかったんだよ」

 父はほんとうに欲しかったのだと思う。なかなか八万円のゴジラから目を離さなかった。「盗めないかな」と笑った。

「八万円は、僕、絶対無理だよ」

「五万円も無理だったな」

私は「五枚円のゴジラ」が手に入らなくてよかったと思った。

 離れて暮らしている妻から写真が送られてきた。息子が、いま流行っているおもちゃを手に、盆と正月とクリスマスと誕生日が一度に来たような笑みを浮かべている。義両親からのクリスマスプレゼントだという。

 私は嬉しかった。涙が出そうだった。しかし、この喜びは、相反する思いと不安で濁っている。

無力な私はこの先、この子の笑顔を守れるのだろうか。
 父のように。

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