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恐れの波動があると幸せすら選べない
ないから欲しい
ないから埋めようとする
でも…
「ないから受け取ってはならない」
そんな矛盾が心の中にあった。
*
この間の誕生日の件で、
思いもよらない
「怖い」「 ダメ」「私なんか」が
あるのを知った。
恐れの波動だ。
"私は受け取ってはならない"
そう思ってしまうのは
"私には相応しくない"と
思いこんでしまっているから。
『自分は受け取るに値しない』
そうやって自分の価値を下げ、
幸せになることすらも選べない。
現実を変えたいと望みながらも
傷付くことを恐れ、
幸せになることも恐れ、
宙ぶらりんな私…
「セルフイメージを書き換える!」
なんてよく聞く歌い文句。
だけど過去の私はまんまとそれに引っかかり
大金をはたいたこともある。
それでも変わらない…
その理由は傷付く怖さだけじゃなくて
幸せになることへの怖さにも
向き合う勇気がなかったからだろう。
でもね、
幸せを受け取るまでにも
いろんな段階がある。
自分を直視することはもちろんなのだけど
恐れの波動をキャッチする「体感覚」を
磨くこともとてもとても重要なのだと感じる。
そのくらい私は自分の心を
がんじがらめにしてきたし
「自己犠牲=快楽」と感じるくらい
体を鈍らせてしまってた。
ヨシちゃんの骨コンじゃないけれど
心も体もめちゃめちゃ方向音痴だった。
だけどそんな私に兆しが見えたのが
この間の誕生日の件で…
肚の底から湧き出る悲しみとともに
感じたことを言語化出来たことで
スペースが空いたのか
お昼ごろ、私の中からある感覚が芽生えた。
「もう、"してもらう"ことでの愛情確認はしなくていい」
相手から何か"してもらうこと"が
私にとっての愛情のバロメーターだった。
物をもらったり、ご馳走されたり、
家事をしてもらったり、誘われたり、、
そうやって"してもらう"ことで
自分の価値を測ってた。
相手の愛情も測ってた。
だから何かを"してもらえない"と
一気に不安になって
コントロールしようとしたり
可哀想な自分になったり、、と
"もらえる"ために自分自身を捧げ
身も心も削っていたんだ。
だけどあの日、
感じたのは『無条件』でも許される感覚で…
それを自分の体に浸透させたことで
恐れの波動から癒しの波動に変わった。
ゆるむ感覚を体で感じることができたんだ。
*
幸せを目指すとき、
どうしたって埋めよう埋めよう と
取り付けることばかりに意識が向いてしまう。
それは心の癖で
方向音痴になっているから。
だけど本当はただゆるむだけ。
心を開いて体をリラックスさせて
受け取る感覚を自分に許すだけでいい。
自分から動かす必要もなくて
自然と湧き上がる感情や感覚を
素直に表現する。
それだけで詰まりが取れ穏やかに
全て自然とうまく流れ出す。
循環が起こる。
そんなふうに感じた。
書き換えなきゃいけないのは
自分のセルフイメージではなく『心の癖』。
恐れの波動を手放し
ゆるむ感覚を自分に許可すること。
そのためにもテハナシは絶対に必要だ。
あぁ、私も自然体のままで存在し
全ての循環を受け取れるように
自分自身をもっともーっとゆるめていこう♪