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何もいらない。
その代わり真っ直ぐに私を見て欲しい。
まだ幼い頃の私が家族に望む
唯一の願いだったのかもしれない。
愛や感謝を伝えるとき、
それを分かり易い形として現すのが
「何かを与えること」で…
たとえばお小遣い だとか
お菓子や野菜、プレゼント、などなど、、
「お金」で解決出来るものばかりだ。
だからかな?
何かを買ってもらうこと、奢ってもらうこと、
もらう金額や回数などで自分の価値を推し量るようになる。
お金=愛の量
いつの間にかそんなふうに
錯覚してしまうんだよね。
感謝もそう。
何かしてもらったから返さなきゃ。とか、
そのときの嬉しい気持ちよりもお返しすることに意識を向ける。
感謝はしなくてはならないもの。
たとえ心に思っていなくても
してもらったのだから返さなければ…
そうやって義務になってしまう。
心にも無い「ありがとう」を口にし、
肝心の気持ちは置いてけぼりだ。
そもそも根源は愛のはず。
なのにどうしてこんなにも捻れてしまうのだろう?
それは多分、そもそもの
お金=愛の量
という土台を履き違えてしまっているから。
愛の量は計れない。
そして感謝は湧き上がるもの。
だからこそ大事にしたいのは"気持ち"。
そのとき感じた自分の気持ち。
そしてその気持ちをしっかりと自分が認識し、
言語化することだ。
自分がまず認識しなきゃ相手にも伝えられないからね!
そしてそのとき自分が「したい」と思ったことを
心を込めて相手に向ける。
真っ直ぐ目を見て愛を伝えるの。
幼い頃の私が欲しかった愛のカタチはそれ。
何か買ってほしかったわけでも
心にも無いありがとうを言われたかったわけでもなくて
そのとき相手が感じた素直な気持ちを聞きたかった。
目には見えないけれど確かに存在する
「心の交流」を持ちたかったんだよね。
だから私は何もいらない。
あの頃の私のようにこれからは
目の前の人と心の繫がりを大切にしていく。
でもそれって媚びることも見栄を張ることもしなくていい。
損得も上下もない対等な関係づくりに繋がると思う。
"純粋な愛と感謝が拡がる世界"
私自身が素直にそうなれたら…
そしてもし全ての人がそうなれたなら…
世界はとっても優しくなるね❦
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