私は「正しさ」で生きていた
自分を苦しくさせていたのは
「正しさ」で生きていたからだと気付いた。
正しさで生きているとき、
周りに対して「してもらった数」を数える。
べきねばで自分を縛り
自分に完璧さを求める。
相手の正解を読み取ろうと
常に相手を見張り
周りに緊張を向け
厳しくあろうとする。
自分にも 周りにも
基準が「正しさ」なのだから
ゼロか100か、思考は白黒に分かれ
それに背くとダメだと裁く。
裁かれない自分になるためには
常に戦闘態勢でいなければならない。
人に対して上か下かを見定めて
上だと判断したら自分を弱者に仕立て上げ
下だと判断したらマウントをとって周りを従えようとする。
どちらにせよ審判しているのは私。
無意識であってもそんな意識なもんだから
心の奥では常に周りを見下している。
そして「してもらった数」で
相手を品定めしているんだ。
だけど同時にその審判は
自分自身にも向けられていて…
だから怖い。
常に怯えている。
「もっと正しい人間にならねば」と
「もっと優れた自分にならねば」と
心を休めることが出来ずに
自分も周りもコントロールしなければ
不安で不安でたまらない…
エゴを捨てるとは
正しさを捨てることでもある。
正しさ基準から
心地よさ基準へ
ゆるむこと ゆだねること を知らないと
捨てるのがものすごく怖い。
今までの自分が信じてきた手綱が
正しさしか知らないのだから
その先の世界を信じることが出来ないのだ。
それでも段階的に
私は手を離してきたつもりで
だからこそ見えてきたものがいっぱいある。
そして今朝の気付き…
まだまだ気を抜けば意識は「正しさ」を求める。
だけど正しさは自分だけじゃなく
周りも緊張させてしまうのだ。
私はこれまでずっと
人と深く関われないことに悩んできた。
他の人はあんなにも簡単に
輪の中に溶け込めるのになぜ?
そう自分に問うてきた。
その答えがやっとわかった。
自分に厳しくしすぎるな。
優れた自分になろうとするな。
完璧さを求めるのではなく
優しさを自分に 周り に向けること。
心をほどいて。
これからは周りに
「してもらった数」ではなく、
「一緒に笑いあえた数」を数えられる
そんな私になっていきたいなぁと思う。
優れて勝る人ではなく
優しくて素直な私になっていこう。